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聖書の読み方

キリスト教入門(6):我れらに形どった者

神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものと を治めさせよう」。創世記1:26

ユダヤ人が記した世界の始まりには神様がおられ、その神様によって私たちが今宇宙と呼んでいる全ての物や法則や時間が定められ、人類が誕生しています。
今日は科学的にどうかと言う話しはさておき、また、創世記のこの箇所はモーセが実際に書いたのか、後の筆者がモーセの言葉としての伝承を書きしるしたのかの話もさておき、再三述べていますように、罪(ハマルティア)の理解のために先を急ぎます。

そもそものことの始まりはこうです。
創世記1章26節で、神様は「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」と言われ、「地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」と人に言われた、と記されています。

ユダヤ教徒やキリスト教徒は、人間は創世記に記されている「われわれ」は、創造者神(「父なる」神)と、天地創造の時に神と共におられた存在たちを指していると理解しています。

神様は人間に「地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」と言われたというこは、神様が神様のおられる世界を支配され秩序と調和を保っているように、人間には神様が創造された目に見える世界を「治める」ことを役割として与え、それができるように人間に神様に似た地位・役割・能力・性質を与えたということを意味します。神の「体現者」、地上における「代理人」、人間はそう言う存在なのです。

ところで、なせ、神様は宇宙を創り人間を創られたのでしょうか?クリスチャンでもあまり考えたことはないかもしれません。

人間は神に似せて創られたと言う前提で、私たちの性質から逆に考えて見ましょう。

私たちは自分の作ったものを大事にするという性質をもっています。特に精魂を込めで作ったものに対してはそうですね。自分の作ったものを馬鹿にされたり、無視されたり、壊されたり、奪い取られたりすると、悲しみ、憤慨し恨めしく思うでしょう。大事なものですから。
このような「心の動き」は「正常な」人なら誰でも自然に持っているものです。
聖書の神様はこの性質をお持ちの方です。神様はご自身の創られたものから喜びを得るためにこれを創ります。神様はなにか不足があって人類をおつくりになったわけではありません。彼は寂しかった訳ではなかったのです。作ったものから満足を得るために作ったのです。そして最後にご自身の「姿」に「似せて」つくられた者を最も大切に思われたのです。なにしろご自身に「似て」、ご自身が創られた全ての物を、ご自身に代わって治める者たちですから。そうです、あなたです。私です。

神様に「似せられた者」「体現者」という概念はとても重要です。
一つに、それは私たちに確固としたアイデンティティー(正体、身元、独自性、主体性、本性)を与えます。人間はいわば神様の子供たちであり同労者(パートナー)なのです。神様は私たちをそのように見ており、また、私たちにもそのように(兄弟姉妹として)お互いを見て欲しいと聖書を通して示されています。私たちは一人一人同等のステータス(地位、立場)を付与されています。神様の家族です。互いに差別したり、暴力を振るったり、操ったり、強制したりするのは神様の意図した人類のデザイン・設計ではなかったのです。

神様に「似せられた者」「体現者」という概念はもう一つ、私たちに目的・目標・使命を与えます。一人一人、どんなに小さく、弱く、短命であっても、他の誰かの人生のなかに役割をもっています。私たちが神様や神様に似せられた同胞のために行う一つ一つの行為は霊的な使命になります。神様の思いの中では、牧師や祭司や総理大臣や大統領などは他の仕事に勝るものではありません。私たちがどのように生きるかは、ともに「似せられた者」「体現者」である一人一人に幸せを与え、神様と共にある生活に思いを馳せ、調和を実感させたりすることもあれば、その逆だったりします。私たちの一つ一つの行為に、そして多くの場合それは些細な行為ではありますが、それには意義があり結果を伴います。

なせ、神様は人間を創られたのでしょうか?
答えになっていますか?

さて、ある出来事がこれをすべて台無しにしてしまいました。それはもう人類を諦めてしまおいうと思うほどに神様の心を痛める出来事だったのです。
・・・ 続きは次に。

追記

1つだけ付け加えておきたいことですが人間を神の姿に似せられた者という時、これは私たちにアイデンティティーと目的を与えるわけですが、最も大切な事はこれはステータス(身分・立場)であって能力ではないって言うことをしっかりと覚えておく必要があります。
次のお話で罪についてお話をしますが、罪の結果人は死ぬものとなってしまいました。病と言うものが世の中に入ってきました。そこで能力と言う概念で考えてしまいますと、例えば流産に至った胎児は人間かという話になってきます。障害をもって生まれた人間はいろんな能力を欠くことがあります。ではその人は人間でないと言うことになるんでしょうか。それは違うでしょう。精子と卵子が合体したその瞬間に人としてのステータス・身分が与えられ、この細胞は人となるのです。能力も何もありません。うまく生まれてこないかもしれません。生まれてきたときに能力の差は必ずあります。でも最初の細胞ができた瞬間に神様はこれに人としてのステータスを与え、人となるのです。
一言で言うと、人とは神に似せられたステータス(身分・立場)を与えられた存在、です。これが最も大切で根本的な人・人間の定義です。そして、これは全ての人に等しく与えられるステータスです。このことだけは是非理解し、忘れないようにしたいと思います。

The Meaning of the Image of God

Heiser, M. S. (2016). Image of God. In J. D. Barry, D. Bomar, D. R. Brown, R. Klippenstein, D. Mangum, C. Sinclair Wolcott, … W. Widder (Eds.), The Lexham Bible Dictionary. Bellingham, WA: Lexham Press.

What Does God Want?

(邦題 「神がお望みのこととは?)
Copyright © 2018 by Michael S. Heiser
ISBN-13: 978-0692199046 (Blind Spot Press)

聖書の考古学(文書学)「我々に似せて」

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