みんな違う、でもつながっている
金知明牧師説教
コリント人への手紙第一 12章26節
一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。(新改訳2017)
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。(共同訳2018)
καὶ ⸀εἴτε πάσχει ἓν μέλος,
kai site paschei hen melos,
and if suffers one member,
συμπάσχει πάντα τὰ μέλη·
sympaschei panta ta mele
suffer-together all the members,
εἴτε δοξάζεται ⸀μέλος,
site doxazetai melos,
if is-honored a-member,
συγχαίρει πάντα τὰ μέλη
synchairei panta ta mele.
rejoice-with all the members.
W. Hall Harris III, The Lexham Greek-English Interlinear New Testament: SBL Edition (Bellingham, WA: Lexham Press, 2010)
要約
本日の聖書の言葉は、コリント人への手紙第一12章26節です。
「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」
足の小指の爪の欠けや、人差し指の痛みのように、体の小さな部分の不調が、心にまで影響することがあります。神様は、体のどの部分も「どうでもいい」とは見ておられません。同じように、私たちの人生にも、教会にも、家庭にも、職場にも、「どうでもいい人」「どうでもいい出来事」は一つもありません。
私たちはみんな違います。しかし、違うから関係ないのではなく、違っていてもつながっています。だからこそ、悲しむ人には「大丈夫?」と寄り添い、喜ぶ人とは「よかったね」と共に喜びましょう。そして自分が苦しい時には、「助けて」と言ってよいのです。
神様の愛に結ばれた私たちは、一人ではありません。つながりの中で、今日も愛を生きる者とされますように。アーメン。

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