休んでいるのに、なぜ疲れるのか〜とらわれから解放される安息〜

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休んでいるのに、なぜ疲れるのか〜とらわれから解放される安息〜

金知明牧師説教

マルコの福音書2章27節

そして言われた。「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。(新改訳2017)

また、彼らに言われた。「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。(共同訳2018)

καὶ ἔλεγεν αὐτοῖς·
kai elegen autois
and he-said to-them

Τὸ σάββατον διὰ τὸν ἄνθρωπον ἐγένετο
To sabbaton die ton anthropon egeneto
The Sabbath for – people was-established

καὶ οὐχ ὁ ἄνθρωπος διὰ τὸ σάββατον·
kai ouch ho anthropoid dia to sabbaton.
and not – people for the Sabbath.
W. Hall Harris III, The Lexham Greek-English Interlinear New Testament: SBL Edition (Bellingham, WA: Lexham Press, 2010)

要約

安息日は「何もしない日」ではなく、神様が私たちを“支配やとらわれ”から解放し、いのちを生かすために与えてくださった恵みの日です。イエス様は言われました。「安息日は人のために設けられた。人が安息日のために造られたのではない」(マルコ2:27)。

私たちは休んでいるつもりでも、心が仕事や不安に追われ続け、疲れが取れないことがあります。まるで充電しながらスマホを使い続けるように、体は止まっていても心が走り続けてしまうのです。だからこそ主は、規則で人を縛るのではなく、苦しむ人を癒し、命を回復させる安息を示されました。

今日、あなたが握りしめている重荷を、神様に委ねてみませんか。頑張ったから価値があるのではなく、愛されているから価値がある――その場所に帰ることが、真の安息です。主のもとで、心と魂の休みを受け取りましょう。

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