聖書が語る「死んでも生きるいのち」ー沖縄のお盆に「いのち」の本質を考えるー
金知明牧師説教
ヨハネの福音書11章25節
イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。(新改訳2017)
イエスは言われた。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。(共同訳2018)
εἶπεν αὐτῇ ὁ Ἰησοῦς·
eipen auto ho Iesous
said to-her – Jesus
Ἐγώ εἰμι ἡ ἀνάστασις
ego eimi e anastasis
I am the resurrection
καὶ ἡ ζωή·
kai he Zoe
and the life
ὁ πιστεύων εἰς ἐμὲ
ho pisteuon eis eme
the-one who-believes in me
κἂν ἀποθάνῃ ζήσεται
kan apothane zesetai.
even-if he-dies will-live.
W. Hall Harris III, The Lexham Greek-English Interlinear New Testament: SBL Edition (Bellingham, WA: Lexham Press, 2010)
要約
ヨハネの福音書11章25節で、イエスは言われました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」。
沖縄ではお盆の時期、家族が集まり、亡くなった大切な人を思い出します。悲しみは、信仰の有無に関わらず、誰の心にも確かにあります。聖書もまた、アブラハムやヨセフが泣いたことを隠さずに記し、さらにイエスご自身も、ラザロの墓の前で涙を流されました。主は、悲しみを否定する方ではなく、そのただ中に共に立ってくださる方です。
「死んでも生きる」とは、悲しみが消えるという意味でも、不死身になるという意味でもありません。十字架で死なれ、三日目によみがえられた主イエスによって、死が最後ではないという希望が与えられる、ということです。
だからこそ今日、私たちは「今」を大切に生きたいのです。ありがとう、ごめんね、を言えるうちに。主の愛に希望を置いて、与えられた命を大切に歩んでいきましょう。アーメン。

コメントを残す