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説教要約

失われる冷静さ

説教:金知明伝道師

British Orientalist artist Edwin Long, Anno Domini, 1883

マタイによる福音書2章13〜23節

彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。「叫び泣く大いなる悲しみの声が/ラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」。さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

要約

生まれたばかりの幼子イエス・キリストにヘロデ王の捜索、該当地域の幼児虐殺と大変な試練が降りかかる。神のひとり子であるはずのイエス・キリストが生まれた時から命を狙われ、転々と場所を移動しながら生き延びていくとは何事なのだろうか。幼子イエス・キリストを守り抜くために父ヨセフと母マリアは決して安心できない夜を過ごし、冷静さを失う日々を過ごしていたであろう。これは日常で大きな危機を目の前にする私たちにも同じように言えることである。
私たちは復活節を“イエス・キリストが死の力に打ち勝った”ことを覚えて祝うが、実はこの聖誕節も幼子イエス・キリストが“どうにかして命を奪おうとする闇の力に打ち勝った時”でもある。
悪の力はどんな手を使ってでも神の計画を阻み、邪魔しようとしている。それは今の時代でも同じだ。キリストにある者一人一人、教会は常に悪き者の力に狙われている。私たちの目の前に障害物を置いて歩みを躓かせようとする。
しかし、今日の聖書でもあるようにどんな危険にさらされようと、そこには絶えず神の守りがあり導きがある。神が定められたその時まで悪しき力が指一本触れられない、この宇宙上最も安心して信頼できる神の助けがあった。
あなたの人生の危機が、生きて働かれる神様によって恵みの証となるとき、あなたは果たして冷静でいられるだろうか。

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