重力波の初観測(今年のノーベル物理学賞)でいよいよ宇宙誕生の見る手がかりを人類が手にいれようとしています。ホモ・サピエンス20万年(?)にしてやっとここまで来たかの観とともに、実際に見えて来るものからBig Bangの現在の宇宙観とはまたひょっとすると全く別のものが見えてくる可能性を考えます。「科学」はどんどん発展し、人々の理解がどんどん変化し深まって行くことから、改めて聖書の読み方として、「科学的な」解説書としてではなく、「天地創造」の本質を知らしめる文書であることを思い知らされます。
追記:「天地創造」が記されている「創世記」はどんなに早くても紀元前1500年代(モーセ執筆とした場合)、遅くとも紀元前300年代(ヘブライ人のバビロン 捕囚中)までに文書となっています。従ってそれが対象としている「読者」はこの時代の世界観(宇宙観)をもった人々だということを忘れてはいけません。聖書は時代を超えた人類(for humanity)のために与えられたものですが、紀元前1500年から紀元前300年に生きていた人々宛に(to humanity)、彼らが理解できるように書かれているのです。重要なことは創造者が神(Yahweh)だということ理解することです。
(図はhttps://www.moreunseenrealm.com/wp-content/uploads/2014/12/Heiser-Genesis-and-Ancient-Near-Eastern-Cosmology-FSB.pdf より)
創世記1:6-8 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
創世記1:7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
創世記1:10 神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。
創世記7:11 それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、
創世記8:2 また淵の源と、天の窓とは閉ざされて、天から雨が降らなくなった。
創世記37:35 子らと娘らとは皆立って彼を慰めようとしたが、彼は慰められるのを拒んで言った、「いや、わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」。こうして父は彼のために泣いた。
民数記16:30 しかし、主が新しい事をされ、地が口を開いて、これらの人々と、それに属する者とを、ことごとくのみつくして、生きながら陰府に下らせられるならば、あなたがたはこれらの人々が、主を侮ったのであることを知らなければならない」。
申命記10:14 見よ、天と、もろもろの天の天、および地と、地にあるものとはみな、あなたの神、主のものである。
サムエル記上2:8 貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、王侯と共にすわらせ、栄誉の位を継がせられる。地の柱は主のものであって、その柱の上に、世界をすえられたからである。
サムエル記下22:8 その時地は震いうごき、天の基はゆるぎふるえた。彼が怒られたからである。
列王記上8:27 しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。ましてわたしの建てたこの宮はなおさらです。
ヨブ記26:11 彼が戒めると、天の柱は震い、かつ驚く。
ヨブ記37:18 あなたは、鋳た鏡のように堅い大空を神とともに張り延ばすことができるのか。
詩篇78:22-24 これは彼らが神を信ぜず、その救の力を信用しなかったからである。しかし神は上なる大空に命じて天の戸を開き、彼らの上にマナを降らせて食べさせ、天の穀物を彼らに与えられた。
詩篇104:5 あなたは地をその基の上にすえて、とこしえに動くことのないようにされた。
詩篇148:4 いと高き天よ、天の上にある水よ、主をほめたたえよ。
箴言8:27 彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、わたしはそこにあった。
マラキ書3:10 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
ユダヤ人がヤーウェを讃えてバビロン人に対してマードックなどに比べものになるものか、と自慢している様子を想像します。私たちもその思いを共有できるのではないでしょうか。