ピントが合うとき、人生が明るくなる
金知明牧師説教
聖書:マタイによる福音書6章22-23節
からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、目が悪ければ全身が暗くなります。ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、その闇はどれほどでしょうか。(新改訳2017)
「目は体の灯である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、目が悪ければ、全身も暗い。だから、あなたの中にある光が暗ければ、その暗さはどれほどであろう。」(共同訳2018)
Ὁ λύχνος τοῦ σώματός ἐστιν ὁ ὀφθαλμός.
Ho lychnos tou sonates estin o ophthalmos.
The lamp of the body is the eye.
ἐὰν οὖν ⸂ᾖ ὁ ὀφθαλμός σου ἁπλοῦς⸃,
ean oun e ho ophalmos sou haplous,
If therefore is – eye your sincere,
ὅλον τὸ σῶμά σου φωτεινὸν ἔσται·
holon to soma sou photeinon estai
whole – body your full-of-light be
ἐὰν δὲ ὁ ὀφθαλμός σου πονηρὸς ᾖ,
ean de ho ophthalmous sou poneros e,
If but – eye your evil is,
ὅλον τὸ σῶμά σου σκοτεινὸν ἔσται.
holon to soma sou skoteinon estai.
whole – body your dark will-be.
εἰ οὖν τὸ φῶς τὸ ἐν σοὶ σκότος ἐστίν,
ei oun to phos to en soi skotos estin,
If therefore the light – in you darkness is,
τὸ σκότος πόσον.
to skotes poson.
the darkness how-great.
W. Hall Harris III, The Lexham Greek-English Interlinear New Testament: SBL Edition (Bellingham, WA: Lexham Press, 2010)
要約
今日は『人生のピント』についてお話しします。私たちの人生が明るく見えるか、どこか暗く感じるか。それは状況のせいだけではありません。イエス様はこう言われました。「目は体の灯りです」。
最近、私は長年使ってきたメガネをやめて、初めてコンタクトレンズにしました。度が合った瞬間、今まで見えていなかったものが、はっきり見えたのです。百円玉一枚でも、見える世界は変わります。
でも不思議なことに、目のピントのズレにはすぐ気づけても、人生のピントのズレにはなかなか気づきません。人は「これが普通だ」「仕方がない」と言いながら、足りないものや失うかもしれないものばかりを見て生きてしまいます。そのとき、心は落ち着かず、理由のない不安に包まれてしまうのです。
イエス様が言われる「澄んだ目」とは、悩みのない人のことではありません。人生の土台がどこにあるのかが定まり、揺れない目を持つ人のことです。ピントが合わないまま歩く道は怖い。でも、ピントを合わせ直せば、同じ道でも安心して歩けます。大切なのは「今見たいもの」ではなく、「今、見るべきもの」が見えているかどうかです。
人生を照らす光は、私たちの努力で作るものではありません。すでに与えられています。問われているのは、私たちの心がその光を受け取っているかどうかです。聖餐式も、その愛と光をもう一度確認する時です。神様は、あなたが思っている以上に、あなたを大切にし、十字架にまで背負ってくださいました。
だから今日、祈りましょう。
「神様、あなたが考えた、私に本当に必要なものを見させてください」。
心のピントを、御言葉に、神様の光に合わせて歩んでいきましょう。