証し、あなたの日常にある神様の足跡
金知明牧師説教
聖書:使徒行伝1章8節
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(新改訳2017)
「ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる。」(共同訳2018)
ἀλλὰ λήμψεσθε δύναμιν
Alla lempsesthe dynamin epelthontos
But you-will-recieve power
ἐπελθόντος τοῦ ἁγίου πνεύματος ἐφʼ ὑμᾶς,
epelthontos tou agiou pneumatos eph hymas,
has-come the Holy Spirit upon you,
καὶ ἔσεσθέ ⸀μου μάρτυρες
kai esesthe mou martures
and you-will-be my witnesses
ἔν τε Ἰερουσαλὴμ
en te Iesousslem
in – Jerusalem
καὶ ἐν πάσῃ τῇ Ἰουδαίᾳ
and in all – Judea
καὶ Σαμαρείᾳ
Kai samara
in Samareia
καὶ ἕως ἐσχάτου τῆς γῆς.
kai eos eschatou tes ges.
and to the-farthest-part of-the earth.
(W. Hall Harris III, The Lexham Greek-English Interlinear New Testament: SBL Edition (Bellingham, WA: Lexham Press, 2010))
要約
証しとは、神様に支えられた体験を自分の言葉で分かち合うことです。病院での親切な対応や畑仕事のコツ、美味しい食べ物の話など、日常の体験を分かち合うのと同じです。大切なのは3つ:自分の体験をそのまま話す、難しい説明ではなく分かりやすく話す、そして心に届く話をすることです。
証しに完璧さは必要ありません。聖書の人物も欠点だらけでした。神様は「大丈夫、私が一緒にいるから」と励ましてくださいます。使徒の働き1章8節にあるように、聖霊の力によって「証人となります」。自分から努力するのではなく、神様が一方的に証人にしてくださるのです。
子どもが自分の言葉で話してくれるのが嬉しいように、神様も私たちのありのままの証しを喜ばれます。背伸びせず、言葉が足りなくても、自分が感じた神様の恵みを素直に分かち合いましょう。証しは義務ではなく、日常に働く神様の恵みを共有し、互いに励まし合う祝福なのです。