新約聖書に記されている最も古い、そして重要な信条文;
παρέδωκα γὰρ ὑμῖν ἐν πρώτοις, ὃ καὶ παρέλαβον,
ΠΡΟΣ ΚΟΡΙΝΘΙΟΥΣ Α 15:3-5
ὅτι Χριστὸς ἀπέθανεν ὑπὲρ τῶν ἁμαρτιῶν ἡμῶν
κατὰ τὰς γραφὰς
καὶ ὅτι ἐτάφη
καὶ ὅτι ἐγήγερται τῇ ἡμέρᾳ τῇ τρίτῃ
κατὰ τὰς γραφὰς
καὶ ὅτι ὤφθη Κηφᾷ εἶτα τοῖς δώδεκα
最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。
コリントの信徒への手紙一(聖書協会共同訳)
すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、それから十二人に現れたことです。
何故この箇所か
「聖書の考古学」シリーズで旧約聖書のダニエル書を一緒に勉強している所でしたが、今回いきなり新約聖書のこの箇所を取り上げたのは、カルトに関する「相談」の通信を受けたからです。内容の要約は次の通り;
「真面目で優秀な後輩がキリスト教の教えを勉強し始めたという話を聞いて、聖書や神様に繋がるのが結果的に人生を有意義に過ごすヒントになると思って、自分も話を聞きたいと言って参加し、週一のスポーツサークルやみ言葉の本当の意味を教えてもらうという形でお話を聞くという感じで付き合ってきました。○○○と知ったのは昨日、独特な賛美歌を聞いて題名を調べたら○○○について色々出てきました。カルトという風に説明されており、教祖が犯罪を犯したという事実それだけを見たら超やばいんですが、活動内容や教えその他は今の所、キリスト教で幼い頃から聖書の言葉を聞いてきた自分からしたら全く変ではなく、色々理にかなってると判断できる点も多々ありました。時間の使い方などにとても啓発的で若い世代が納得できるようにみことばを説明することができ、非営利的な点で正直実際に触れ合った感触では悪いイメージはないです。」
これに対して私の回答は「歴史的にもキリスト教のいわゆる異端の信者さんたちは皆大凡良い人たちです。中にはものすこく良い人たちもいます。しかし、最終的に重要なのは教義(*)。本当の神様を神様が示された通り正しく理解し従っていなければ、どんなに善意を持っていても、事実・真実という点において誤っていることになります。キリスト教でなくなります。」
*ここで「教義」と言ってしまいましたが、キリスト教の中心的な信条 core belief、と言った方が正確です。
そこで、今日の新約聖書の箇所について;
なぜこの箇所がキリスト教を理解する・定義づける上で(最も)重要かと言いますと、ここは新約聖書の文書の多くを、最も早い時期に書き記したパウロが、直接イエスの直弟子ペテロやヤコブから彼らの証言として既に成文化(口伝として)されていた中心的信条(core belief)を記しているからです。キリスト教を全く信奉しない、或いは批判的な歴史家学者も、歴史的に実在したパウロという人物が第一テサロニケ書、ピリピ書、ピレモン書、ガラテヤ書、第二コリント書、ロマ書とともにこの第一コリント書を著したことを認めております。
パウロはキリスト復活の大凡3年後にダマスコ途上で復活のキリストと出会い、回心し、アラビアで(1年以上〜)3年過ごした後、エルサレムでペテロやイエスの兄弟ヤコブと会ったと使徒行伝(9:26-27)やガラテヤ書(1:17-19)に記されています。この「信仰告白」(信条文)はこの時、あるいはパウロが回心した時に既にこのような形で伝えられていたと考えられていますが、このように出来事が起こった数年以内に既にその内容を正確に伝える文献はキリスト教をおいて他(の「宗教」)にはありません。
さて、その内容
「ὅτ、καὶ ὅτ、καὶ ὅτ、καὶ ὅτ」というリズムをもった覚えやすい(語り伝えやすい)文書だということが分かります。キーワード(青と赤で示しました)を覚えるだけでも重要な点を全て押さえられます。
青
παραδίδωμι(paradithomi):伝える、継ぐ、托する
πρῶτος(protos):第一、最重要
παραλαμβάνω(paralambano):受ける、託される
γραφή(graphe):書かれたもの、聖書
赤
Χριστός(Xristos):キリスト
ἀποθνῄσκω(apothnesko):死んだ
ὑπέρ(huper):〜のため、〜の代わり、〜に関して
ἁμαρτία(hamartia):罪
ἡμεῖς(emeis):私たち
θάπτω (that):葬る
ἐγείρω(egeiro):起こす、存在させる、蘇らせる
ὁράω(opao):見る、認める
最も重要なのはΧριστὸς(キリスト)であることは明白です。これがなければ「キリスト教」ではありません。Χριστόςのなんたるかについてはγραφή(旧約聖書)が教えてくれます。γραφήの中のΧριστόςに関する鍵となる箇所は、例えば創世記3:15(アダム)、創世記22:15-18(アブラハム)、出エジプト19:6(イスラエル)、申命記18:18-19(選ばれた預言者)、サムエル記下7:11-16/詩篇89(ダビデ)、エレミヤ書33:14-16(義の枝)、・・・重要な箇所をと思って列挙し始めたがキリがないことに気づき、この辺にします。英語で”History is His-Story”とあるように、人間の歴史全体、旧約聖書全体がキリストの(神の)物語であることに気づきます。
もう一つ重要で、信者であればあるいは無意識的に理解している可能性があるが、信仰を持たない者にとっては理解が難しいのがἁμαρτία(罪)でしょう。
BDAG(Arndt, W., Danker, F. W., & Bauer, W. (2000). A Greek-English lexicon of the New Testament and other early Christian literature (3rd ed.). Chicago: University of Chicago Press.)で ” ἁμαρτία ” を引いてみると(以下抜粋);
ἁμαρτία, ίας, ἡ
① 人間あるいは神の正義の基準から離れること、逸脱
ⓐ 罪(大体凶悪性の程度も付加して表現)、行為そのも(ἁμάρτησις)、その結果も(ἁμάρτημα)。πᾶσα ἀδικία ἁμαρτία ἐστίν(全ての不義は罪である)(第1ヨハネ5:17)、ἀφιέναι τὰς ἁμαρτία(罪が許される)(マタイ9:2)、αἴρειν(取り除く)(ヨハネ1:29)
ⓑ 特別な罪:πρὸς θάνατον 死に至る(第1ヨハネ5:16b):μεγάλη ἁμαρτία 大罪(創世記20:9、出エジプト記32:30、など)
②罪を持って(の中に)いる状態、罪深さ
使徒ヨハネの著書に特徴的で ἀλήθεια 真理・真実・誠実さの対語として。ἁ. ἔχειν(罪を有する)(ヨハネ9:41, 15:24, 第1ヨハネ1:8 )、μείζονα ἁ. ἔχειν(より大きな罪を有する)(ヨハネ19:11)、ἁ. μένει(罪が残る)(ヨハネ9:41)、γεννᾶσθαι ἐν ἁμαρτίαις (罪の中に・内に生まれる)(ヨハネ9:34)
③ 破壊的な悪の力、罪
ⓐパウロは罪をあたかも存在(人格)として捉えている。
罪が世に入った(ロマ書5:12)、罪の支配(ロマ書6:12)、罪の奴隷(ロマ書6:17)
ⓑヘブル書では罪を、人類を欺きその破壊に導く力(存在)として捉えられている(旧約聖書同様)。
ἀπάτη τῆς ἁμαρτία(罪の欺き) (ヘブル書3:13)
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