仕えることは、安心と救いを届けること
金知明牧師説教
マタイによる福音書20章26節
あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。(新改訳2017)
しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、(共同訳2018)
οὐχ οὕτως ⸀ἔσται ἐν ὑμῖν·
ouch houtos estai en hymin
not like-this be among you
ἀλλʼ ὃς ⸀ἂν θέλῃ ἐν ὑμῖν
all hos an thele en hymin
but who ever wants among you
μέγας γενέσθαι
megas genesthai
great to-become
ἔσται ὑμῶν διάκονος,
estai hymon diakonos
must-be your servant.
(W. Hall Harris III, The Lexham Greek-English Interlinear New Testament: SBL Edition (Bellingham, WA: Lexham Press, 2010))
要約
皆さん、少しだけ心に問いかけてみてください。 「偉くなりたい」と思ったこと、ありませんか。 世の中では、偉くなるとは上に立つこと、力を持つこと、目立つことだと考えられがちです。 けれどイエス様は、今日の聖書でまったく逆のことを語られました。 「偉くなりたいと思う者は、仕える者になりなさい」。
ある若い社会人が、大切な書類で数字を一つ間違えてしまい、胸が「ちむどんどん」して、ひとりで抱え込んでいました。 そのとき先輩が、そっと声をかけて言いました。 「大丈夫、気にしなくていいよ」。 その一言と小さな手助けが、その人の心をどれほど軽くしたことでしょう。
仕えることは、特別なことではありません。 飲み物を差し出すこと、話を最後まで聞くこと、少し手間をかけること。 イエス様は、そうした小さな行いを通して、人に安心と希望を届けてこられました。
私たちは疲れたり、不安になったり、心を閉ざしてしまうことがあります。 それでも大丈夫です。 今日の言葉は命令ではありません。 神様が、すでに私たち一人ひとりを大切に愛しておられる、という福音です。
失敗しても、うまくできなくても構いません。 今日できる小さなことを、誰かのために。 その一歩の中に、神の国の「偉さ」があります。