いのちを感じ、ともに生きよう
金知明牧師説教
ヨハネによる福音書6章53-58節
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」(新改訳2017)
イエスは言われた。「よくよく言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる。私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物だからである。私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私の内にとどまり、私もまたその人の内にとどまる。生ける父が私をお遣わしになり、私が父によって生きるように、私を食べる者も私によって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は永遠に生きる。」(共同訳2018)
εἶπεν οὖν αὐτοῖς ὁ Ἰησοῦς· Ἀμὴν ἀμὴν λέγω ὑμῖν, ἐὰν μὴ φάγητε τὴν σάρκα τοῦ υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου καὶ πίητε αὐτοῦ τὸ αἷμα, οὐκ ἔχετε ζωὴν ἐν ἑαυτοῖς. ὁ τρώγων μου τὴν σάρκα καὶ πίνων μου τὸ αἷμα ἔχει ζωὴν αἰώνιον, κἀγὼ ἀναστήσω αὐτὸν τῇ ἐσχάτῃ ἡμέρᾳ. ἡ γὰρ σάρξ μου ⸀ἀληθής ἐστι βρῶσις, καὶ τὸ αἷμά μου ⸁ἀληθής ἐστι πόσις. ὁ τρώγων μου τὴν σάρκα καὶ πίνων μου τὸ αἷμα ἐν ἐμοὶ μένει κἀγὼ ἐν αὐτῷ. καθὼς ἀπέστειλέν με ὁ ζῶν πατὴρ κἀγὼ ζῶ διὰ τὸν πατέρα, καὶ ὁ τρώγων με κἀκεῖνος ⸀ζήσει διʼ ἐμέ. οὗτός ἐστιν ὁ ἄρτος ὁ ⸀ἐξ οὐρανοῦ καταβάς, οὐ καθὼς ἔφαγον οἱ ⸀πατέρες καὶ ἀπέθανον· ὁ τρώγων τοῦτον τὸν ἄρτον ⸀ζήσει εἰς τὸν αἰῶνα (W. Hall Harris III, The Lexham Greek-English Interlinear New Testament: SBL Edition (Bellingham, WA: Lexham Press, 2010))
要約
今日、イエス様は私たちにこう語りかけておられます。
「私の肉を食べ、私の血を飲みなさい。」 初めて聞くと、少し怖く、戸惑う言葉かもしれません。でもこれは、イエス様を遠くから理解しなさい、という意味ではありません。十字架で示されたその命と愛を、あなた自身の中に迎え入れなさい、という招きです。
それは、頭で考える信仰ではなく、命として生きる信仰です。 サッカーで仲間と心が一つになり、考える前に体が動く瞬間。 音楽を演奏していて、自分と音が一つになる瞬間。 誰かと語り合い、相手の悲しみが自分の痛みになり、喜びがそのまま自分の笑顔になる瞬間。 あなたも、そんな「一体になる」経験をしてきたのではないでしょうか。
イエス様は、まさにそのように、あなたと共に生きたいと願っておられます。 礼拝の時間だけでなく、忙しい日も、苦しい時も、迷う時も。 神様の愛は、24時間365日、あなたの命の中に注がれ続けています。
もう一人で頑張らなくていいのです。 あなたと共に歩んでくださる方がいます。 今日も、明日も、その命と愛に支えられて、希望の中を歩んでいきましょう。