カテゴリー
説教要約

「今日のかて」詩篇23篇2節

説教・金知明伝道師

「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる」詩篇 23:2 口語訳

この言葉を最初に聞いた時、私は目に優しい鮮やかな緑をイメージしました。

詩篇23篇は私たちを羊、神様を羊飼になぞらえています。羊にとって草は主食。私たちの主食は何でしょうか?青草は羊が健全に育つために必要不可欠なものです。単に羊が欲しがっているものではないと言うことを私たちは知っておかなければなりません。

詩篇23篇はダビデがその人生で経験した様々な試練の中で神様に向けた告白です。ダビデが語る「青草」とはその人生の様々な困難の中にあって彼の魂を生かした、神様の御言葉だったのです。

ところでダビデはどうして「私には乏しいことがない」(1節)と言えたのでしょうか。また、私たちにとって「いこいの水のほとり」とは一体なんでしょうか?

聖書は申命記8章3節でこう語っています。「それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。」

神様は40年の間イスラエルの民族を導かれましたが、それはイスラエルの民族が神様の御言葉により頼むことを学んで、神様の御言葉によって生きるものとなるためでした。

イエス様も荒野でサタンの試みにあった時に、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」(マタイ伝4章4節)と言われました。

「憩いの水のほとり(みぎわ)」とは神様が私たちと共におられるその場所です。神様は「安全な場所」に私たちを連れて行ってそこに私たちを「置きっ放し」にはしないのです。神様は私たちのいるその場所、その時にいつも一緒におられるのです。神様が「伴われる」から、人生のどんな場面、どんな時でもそこは「憩いの場所」なのです。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください