証し:Y.K.兄
主題聖句:ヨハネ5:17 - イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」(新改訳2017)
弟子たちを通して奇跡が行われている記事;
1.マルコ6:12-13 - 十二人は出て行って、悔い改めを宣べ伝えた。また、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒やした。(共同訳2018)
2. 使徒行伝19:12 - 神は、パウロの手を通して数々の目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手拭いや前掛けを持って行って病人に当てると、病気は癒やされ、悪霊どもも出て行くほどであった。
奇跡と信仰、祈りについて記されている聖書の箇所;
1.マタイ17:19-20 - 弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「どうして、私たちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。よく言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と言えば、移るだろう。あなたがたにできないことは何もない。」(共同訳2018)
2. ヨハネ14:13-14 私の名によって願うことを何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。私の名によって願うことは何事でも、私がかなえてあげよう。」(共同訳2018)
神様の御心とはなんでしょうか?
1.創世記1:28 - 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて、これを従わせよ。海の魚、空の鳥、地を這うあらゆる生き物を治めよ。」(共同訳2018)
2.創世記26:4 - 私はあなたの子孫を空の星のように増やし、これらの地をすべてあなたの子孫に与える。地上のすべての国民はあなたの子孫によって祝福を受けるであろう。(共同訳2018)
3.詩篇8:4-9 - あなたの指の業である天を あなたが据えた月と星を仰ぎ見て、思う。人とは何者なのか、あなたが心に留めるとは。人の子とは何者なのか、あなたが顧みるとは。あなたは人間を、神に僅かに劣る者とされ 栄光と誉れの冠を授け 御手の業を治めさせ あらゆるものをその足元に置かれた。羊も牛もことごとく、また野の獣 空の鳥、海の魚 潮路をよぎるものまでも。(共同訳2018)
4. マタイ5:45 - 天におられるあなたがたの父の子となるためである。父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。(共同訳2018)
5.マタイ18:14 - そのように、これらの小さな者が一人でも失われることは、天におられるあなたがたの父の御心ではない。」(共同訳2018)
6.マルコ 12:31 - 第二の戒めはこれである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる戒めはほかにない。」(共同訳2018)
7.ルカ12:6 - 五羽の雀は二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神の前で忘れられてはいない。(共同訳2018)
8.第一ヨハネ2:2 - この方こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪だけではなく、全世界の罪のための宥めの献げ物です。
神様の御心について分かること;
人には「共感疲労」と言うのがありますが、神様は疲れません。神様は災いにあっている人に誰よりも近くにおられ共感されております。そして神様の御心は慰め、救うことです。
9.ルカ23:39-42 - 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」(新改訳2017)
10.ルカ23:43 - イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。(新改訳2017)
ひょっとするともう一人、イエス様を罵った囚人、その人もイエス様とパラダイスに入れられたのではないか。
11. ルカ23:34a - そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(新改訳2017)
神様はずっと働いておられるのです;
12. ヨハネ5:17 - イエスは彼らに答えられた。私の父は今に至るまで働いておられます。それで私も働いているのです。」(共同訳2018)
神様はずっと働き続けられています。イエス様をこの世に送り出され、救いの御業を完成され、今も尚働かれているのです。イエス様の救い、これを理解できて救いに入ることのできる人は幸いですけれども、そうでない、理解できない、あるいは聞いたことのない人、その人のためにもイエス様は働かれているのです。
祈りは?奇跡は?
私たちが祈ることは、神さまの働きに参加させてもらうことを、意識させてもらうことであることに気づきます。
祈りを神様は聞いてくださっています。祈りを通して、導きがあったり、祈られた方の生き方など、色んな面で神様が働かれておられる事を感じております。神様にはおできにならないこともありますが、できることはなさいます。それを奇跡と呼ぶのでしょう。奇跡はあると思っています。そして、祈る事はそう言う意味で神様の働きに参加させていただく恵だと思います。
神様は全ての者を愛され、御心は全ての人を救うことです。
13.ヨハネ:3-16 - 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
今日のお話では詳しく触れることは出来までんでしたが、神様にはおできにならないこともあります。しかし、一人一人のためにできる事は弛まずなさっておられます。祈る事は神様の御業に参加させていただく事です。
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