神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。創世記2章16節、17節(新改訳)
蛇は女に言った。「いや、決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っているのだ。」創世記3章4節、5節(聖書協会共同訳)
今日は人類最初の罪、罪の本質の話です。
「罪」とは何でしょうか?神様はここで はっきり分かりやすくそれを示しています。「この木からは取って食べてはならない」。聖書は、「罪とは神の命令に背くこと」、こう教えます。
「この木からは取って食べてはならない」。この言葉は意地悪な言葉に聞こえますか?神様は意地悪な方なのでしょうか?
אָכֹ֥ל תֹּאכֵֽל׃
「この木からは取って食べてはならない」。この言葉の前に神様は「園のどの木からでも思いのまま食べてよい」と言われています。ヘブライ語の原典では食べるという「動詞」を二つ重ねて「アホル、トヘル」「食べる、食べて」沖縄風に言いますと「噛め、噛め」、「自由に食べて」「思いのまま食べて」と表現しています。
むしろ神様の深い思い、配慮を感じませんか?
מ֥וֹת תָּמֽוּת׃
更に、命令に反いた結果、大変なことになる。ここでもヘブライ語の原典では、「死ぬ」という動詞を二つ重ねて「モットゥ、タモットゥ」「死ぬ、死ぬ」「死にて、死ぬ」「必ず死ぬ」、これ以上分かりやすい表現はありませんね。聖書学者のある人たちは、最初の人は人が死ぬことを見たことがない、どうして死ということを理解できたであろうか、と議論します。動物が死ぬのを見たのに違いないと推測してみたり、死ぬという言葉はなにか抽象的な意味を持っているに違いないと考える学者もいたりします。しかし、そんな議論は本質的ではないと思います。「モットゥ、タモットゥ」。大変なことになる、と言うことは人に十分に伝えられた、伝わったということが重要です。
לֹֽא־מ֖וֹת תְּמֻתֽוּן׃
これに対して、人はどうしましたか? 「いや、あなたは『必ず死なない』という蛇の言葉(創世記3章4節・5節)の方を信じて、とって食べたのです。神様の言葉「モットゥ、タモットゥ」(死ぬ、死ぬ)ではなく、蛇の「ロー、モットゥ、タモットゥ」(死なない、死なない)を信じることを選んで神様に叛いたのです。これが罪です。
「親の心、子知らず」と言う言葉があります。また、一番の親孝行は、親になることだ、とも言われています。親になって初めて分かるその思い。子供であった時は、厳しいとしか思えなかった親の言葉、口うるさく、自分を束縛するものとしかないと思っていなかった言葉が、実は深い愛情から出た言葉だったと理解できるようになります。
もう一つ分かることですが、親である自分の言葉に反して大変な目にあってしまった我が子に対しての思いです。それは怒りの感情でしょうか。罰を加えなければならないと言う思いでしょうか。そうではないです。深い悲しみであり痛みです。「このことだけはしないで」と仰せられた神様がどのような思いで最初の人に語られたかが理解できると思います。
罪とは神に背くこと。神様がどのような存在であるか分かった時、罪の重大さ・結果・悲劇が初めて理解できます。
Adam is told that he may really or freely eat (אכל תאכל). God declares to Adam that ‘you will surely die’ (מות תמות).
Brayford, S. A. (2007). Genesis: Commentary. (S. E. Porter, R. S. Hess, & J. Jarick, Eds.). Leiden; Boston: Brill.
Even less is known of the tree of knowledge. It is found nowhere else in Scripture. While it is true that this is the prohibited tree (Gen. 2:17), nothing is made of that. … In any case, the story is not interested in the character of the tree. The trees are incidental to the main point that God’s command is a serious one.
Brueggemann, W. (1982). Genesis (p. 45). Atlanta, GA: John Knox Press.
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