聖書の読み方「ネブカデネザルの大きな像の夢」(聖書の考古学)

歴史書としての聖書の読み方として、3月17日(日)はダニエル書に記されているネブカデネザルの大きな像の夢について話しました。
この最初の夢はダニエル書2章1節にはネブカデネザル王治世第2年の出来事として記されています。
ダニエル書1章1節のユダの王エホヤキムの治世第3年にネブカデネザルがダニエル達をバビロンに連れ帰ったのは、エジプトを攻めていた最中に父、ナボポレッサル王の死を知らされて、即位するためにバビロンに引き返した途中の出来事。ダニエル達はネブカデネザル即位の年から3年間「カルデヤびとの文学と言語とを学ばせ」られたとあります。
ここで、聖書に批判的な学者達の多くが、ネブカデネザル即位の年から教育を開始されたダニエルが、ネブカデネザル王治世の第2年に夢の解き明かしをしたことになっているが、これは3年の教育期間と記されている記述に矛盾すると主張しています。
この事に関して、primary source(一次資料)として1876年から1902年の間に大英博物館が入手した45群の年代記粘土板(出土はバビロン及びその姉妹都市ボルシッパ・ナボネーサル 747b.c. – セレウコス1世 281b.c.の業績が記されている)「アッシリア・バビロニア年代記」の内、通称「エルサレム年代記」と呼ばれている5群目の粘土版の解読翻訳がA.K.グレイソンによってなされ、聖書の記述の整合性が示されています(下表)。

エルサレム年代記英訳(www.livius.org より)

エルサレム年代記の英訳は以下の通り;
[Obv.1] In the twenty-first year [605/604] the king of Akkad [Nabopolassar] stayed in his own land, Nebuchadnezzar his eldest son, the crown-prince,
[Obv.2] mustered the Babylonian army and took command of his troops; he marched to Karchemiš which is on the bank of the Euphrates,
[Obv.3] and crossed the river to go against the Egyptian army which lay in Karchemiš.
[Obv.4] They fought with each other and the Egyptian army withdrew before him.
[Obv.5] He accomplished their defeat and beat them to non-existence. As for the rest of the Egyptian army
[Obv.6] which had escaped from the defeat so quickly that no weapon had reached them, in the district of Hamath
[Obv.7] the Babylonian troops overtook and defeated them so that not a single man escaped to his own country.
[Obv.8] At that time Nebuchadnezzar conquered the whole area of Hamath.
[Obv.9] For twenty-one years Nabopolassar had been king of Babylon,
[Obv.10] when on 8 Abu[15 August 605.] he went to his destiny; in the month of Ululu[September.] Nebuchadnezzar returned to Babylon

[Obv.11] and on 1 Ululu he sat on the royal throne in Babylon.
[Obv.12] In the accession year Nebuchadnezzar went back again to the Hatti-land and until the month of Šabatu
[Obv.13] marched unopposed through the Hatti-land; in the month of Šabatu he took the heavy tribute of the Hatti-territory to Babylon.
[Obv.14] In the month of Nisannu{{Spring 604.__ he took the hands of Bêl and the son of Bêl and celebrated the Akitu Festival.
[Obv.15] In the first year of Nebuchadnezzar [604/603] in the month of Simanunote[Late Spring.] he mustered his army
[Obv.16] and went to the Hatti-territory, he marched about unopposed in the Hatti-territory until the month of Kislîmu.[End 604.]
[Obv.17] All the kings of the Hatti-land came before him and he received their heavy tribute.
[Obv.18] He marched to the city of Aškelon and captured it in the month of Kislîmu.
[Obv.19] He captured its king and plundered it and carried off spoil from it.
[Obv.20] He turned the city into a mound and heaps of ruins and then in the month of Šabatu he marched back to Babylon.

[Obv.21] In the second year [603/602] in the month of Ajaru the king of Akkad gathered together a powerful army and marched to the land of Hatti.
[Obv.22] …] he threw down, great siege-towers he […
[Obv.23] …] from the month of Ajaru until the mon[th of …] he marched about unopposed in the land of Hatti.
[Obv.24-27] [Four lines missing]
[Rev.] [Several lines missing]
[Rev.1′] In the third year [602/601] the king of Akkad left and
[Rev.2′] in the month of […] on the thirteenth day, [the king’s brother] Nabû-šuma-lišir […]
[Rev.3′] The king of Akkad mustered his troops and marched to the Hatti-land.
[Rev.4′] and brought back much spoils from the Hatti-land into Akkad.
[Rev.5′] In the fourth year [601/600] the king of Akkad mustered his army and marched to the Hatti-land. In the Hatti-land they marched unopposed.
[Rev.6′] In the month of Kislîmu[End 601.] he took the lead of his army and marched to Egypt. The king of Egypt heard it and mustered his army.
[Rev.7′] In open battle they smote the breast of each other and inflicted great havoc on each other. The king of Akkad turned back with his troops and returned to Babylon.note[Apparently, Nebuchadnezzar suffered a defeat: in the next line, he reorganizes his army.]
[Rev.8′] In the fifth year [600/599] the king of Akkad stayed in his own land and gathered together his chariots and horses in great numbers.
[Rev.9′] In the sixth year [599/598] in the month of Kislîmu the king of Akkad mustered his army and marched to the Hatti-land. From the Hatti-land he sent out his companies,
[Rev.10′] and scouring the desert they took much plunder from the Arabs,[{{Probably nomads in what is now Jordan.] their possessions, animals and gods. In the month of Addaru the king returned to his own land.

[Rev.11′] In the seventh year [598/597], the month of Kislîmu, the king of Akkad mustered his troops, marched to the Hatti-land,
[Rev.12′] and besieged the city of Judah and on the second day of the month of Addaru he seized the city and captured the king.note[Jehoiachin; cf. Jeremiah 52.28-30; 2 Kings 24.8-17.]
[Rev.13′] He appointed there a king of his own choice,note[“Jehoiachin’s uncle Mattaniah became ling of Judah and changed his name to Zedekiah”: 2 Kings 24.17.] received its heavy tribute and sent to Babylon.
[Rev.14′] In the eight year [597/596], the month of Tebetu the king of Akkad marched to the Hatti-land as far as Karchemiš […
[Rev.15′] …] in the month of Šabatu the king returned to his own land.note
[Rev.16′] In the ninth year [596/595], the month of […] the king of Akkad and his troops marched along the bank of the Tigris […]
[Rev.17′] the king of Elam […]
[Rev.18′] the king of Akkad […]note
[Rev.19′] which is on the bank of the Tigris he pitched his camp. While there was still a distance of one day’s march between them,
[Rev.20′] the king of Elam was afraid and, panic falling on him, he returned to his own land.

[Rev.21′] In the tenth year [595/594] the king of Akkad was in his own land; from the month of Kislîmu to the month of Tebetu there was rebellion in Akkad.note
[Rev.22′] With arms he slew many of his own army. His own hand captured his enemy.
[Rev.23′] In the month of […],note he marched to the Hatti-land, where kings and […]-officials
[Rev.24′] came before him and he received their heavy tribute and then returned to Babylon.
[Rev.25′] In the eleventh year [594/593] in the month of Kislîmu, the king of Akkad mustered his troops and marched to the Hatti-land.

ダニエル書1・2章に関係する部分の日本語訳

この中でダニエル書1章と2章に関係する部分を日本語訳(私訳)したのが次の通り;
[行.1] 21年目 [605/604BC]にアッカドの王[ナボポラッサル] は自らの国に留まり、彼の長男で王位継承者であるナブカデネザルは、
[行.2] バビロンの軍を集め部隊を指揮した;彼はユーフラテス川のほとりにあるカルカメシに進軍し、
[行.3] カルカメシに陣取っていたエジプト軍に向かった。
[行.4] 彼らは互いに戦い、エジプト軍が彼の前から撤退した。
[行.9] ナボポレッサルは21年間バビロンの王であった。
[行.10] アブーの8日[8月15日 605BC]彼の運命にたどり着いた時; ウルル[9月]にネブカデネザルはバビロンに戻り、
[行.11] ウルルの1日にバビロンの王座に座した。
[行.15] ネブカデネザルの第1年 [604/603]、シマヌ[晩春]の月に彼は兵を集め、…
[行.21] 第2年 [603/602] アジャル[春]の月にアカッドの王(ネブカデネザル)は強力な軍隊を集めハッティの地へ進軍した。

文献

(Secondary source 二次的資料)
1)伝統的立場;Miller, S. R. (1994). Daniel (The New American Commentary Vol. 18, p. 95). Nashville: Broadman & Holman Publishers.

2)批判的立場:Collins, J. J., & Collins, A. Y. (1993). Daniel: a commentary on the book of Daniel. (F. M. Cross, Ed.) (p. 166). Minneapolis, MN: Fortress Press.

まとめ

以上、この物語の年代に関して聖書学者は大きく2つの立場をとります。しかし、極端な言い方をすれば、これはどうでも良いことかもしれません。聖書の箇所として重要なのは次の箇所でしょう;
2:44 それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです。
2:45 一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と、青銅と、粘土と、銀と、金とを打ち砕いたのを、あなたが見られたのはこの事です。大いなる神がこの後に起るべきことを、王に知らされたのです。その夢はまことであって、この解き明かしは確かです」。

結語

歴史書としての聖書の読み方で、この話(ダニエル書2章)から私たちが学ぶべきことは、
神はその時代の人々に知ってもらうべきことを、その時代の人々に一番伝わりやすい形で伝えてる、ということです。先ず、

(1)ダニエルが他の誰にも当てることができなかったネブカデネザル王の夢を当てて解くという奇跡を通して当時の最高権力者(ネブカデネザル王)に、ダニエルの信じる神が本物であることを知らしめました。
(2)その後、ダニエルが神の国の到来があることを告げるのだが、先の出来事があったために彼の話は信憑性を持って民に伝わり、民は希望と平安を得ることができました。

また、時代は変わり、現代の私たちは、彼の予言(彼はこの地の支配者の移り変わりを予言していた)が正しかったことを歴史的記録として知ることができます。従いまして、
(3)現代の私たちも、神は歴史の移り変わりを予告し支配している存在である、ということを知ることができます。

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地の塩と世の光(長老説教2018.9.23)

塩について旧約聖書からそれは清めに用いられるもの、契約のしるしとしての重要性を指摘したい。この重要性を知ると、とても自分は地の塩だ世の光だなどとは言えなくなってしまう。個人の知識・資質・能力では到底果たすことのできない役割である。しかし、神様のご配慮により清められ、私たちの内にイエス様の姿が見えることによって地の塩・世の光たることができることを知る。感謝。

レビ記 2:13 「あなたの素祭の供え物は、すべてをもって味をつけなければならない。あなたの素祭に、あなたの神の契約の塩を欠いてはならない。すべて、あなたの供え物は塩を添えてささげなければならない。」

エゼキエル書43:24「これを主の前に持ってきて、祭司らはその上にをまき、これらを燔祭として主にささげる。」

出エジプト記30:35「あなたはこれをもって香、すなわち香料をつくるわざにしたがって薫香を造り、を加え、純にして聖なる物としなさい。」

エゼキエル書16:4「あなたの生まれについて言えば、その生まれた日に、へその緒は切らず、水で洗い清めず、でこすらず、また布で包まれなかった。」

民数記18:19「イスラエルの人々が、主にささげる聖なる供え物はみな、あなたとあなたのむすこ娘とに与え永遠に受ける分とする。それは主の前にあって、あなたとあなたの子孫とに対して、永遠に変わらぬ塩の契約である。」

歴代誌下13:5「あなたがたはイスラエルの神、主が塩の契約をもってイスラエルの国をながくダビデとその子孫に賜ったことを知らないのか。」

蛇足:ここは有名な「山上の垂訓」でのキリストの言葉です。重要なのはキリストが単に調味料としての塩の役割を指しているのでなく、(いつもなされていたように)旧約聖書を念頭に清める働きや契約の最上のしるしとしての塩、ひいては「あなたがた」の役割のことです。更に、旧約聖書の深い理解が新約聖書の理解に不可欠であることも今更ながら確認させられます。(義彦)

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聖書の読み方「二つの福音?」(聖書神学)2018.9.9

聖書の読み方、今回は「2つの福音?」と言う変な題をつけましたが、それは福音が2つあるとか別の福音があると言うつもりはなく、私たちが時々忘れがちな福音のもう一つの要素について考えたかったからです。

神が王となられてその民に平和と救いをもたらすと言う「良い知らせ(福音)」を力強く語ったイザヤの言葉は使徒パウロも引用しており、旧約聖書で語られる「福音」の代表的な箇所です。

新約聖書の原典はギリシャ語で書かれていた訳ですが、その中でεὐαγγέλιονは76箇所に見られます。

是非、ファイルをダウンロード(怪しいものではありません)して目を通していただきたいですが(ギリシャ語でεὐαγγέλιονと記されている箇所が76箇所で翻訳において代名詞が「福音」と訳されていたり、εὐαγγέλιονが代名詞に翻訳されていたりしているので、翻訳では数が合わないように見えるのに注意)、私たちが福音と言う時におそらく第一に想起するのが第一コリント15章1〜5節(大変重要な箇所)で代表されるように「十字架」で象徴されるキリストによる「救いの福音」ではないでしょうか。

勿論、これは私たちにとって最も重要な「知らせ」に違いありませんがもう一つ、マルコによる福音書1章14〜15節で代表されるようにキリストによって「神の国」が来たと言うことを忘れてはいけません。

「先ず神の国と神の義とを求めなさい。」(マタイ6:33)とキリストは教えました。そして、キリストのメッセージを信じ受け入れた者には、罪の許しによる神との和解により「神の国」に入る事を許されるのです。(御国と十字架 / Kingdom and Cross)

また、キリストを受け入れた者には「助け主」(聖霊)が約束されました。これも福音です。聖霊の助けがなければ弟子たち、そして私たちも真に聖書(神様のみ言葉)を理解することができませんでした・できません。

まとめ

福音は神の国(支配)が来たと言うこと、神の御子イエス・キリストが十字架上の死と神の御力による復活によって死と悪の支配に完全に勝利され、それを信じ受け入れた者には神との和解により神の国の者として下さること。イエスは彼を受け入れた者に「助け主」(聖霊)を賜り、この助け主によって私たちは聖書(御言葉)を真に理解することができる。これが福音です。

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聖書の読み方「古代ヘブライの宇宙観」(聖書神学)2017.9.17

重力波の初観測(今年のノーベル物理学賞)でいよいよ宇宙誕生の見る手がかりを人類が手にいれようとしています。ホモ・サピエンス20万年(?)にしてやっとここまで来たかの観とともに、実際に見えて来るものからBig Bangの現在の宇宙観とはまたひょっとすると全く別のものが見えてくる可能性を考えます。「科学」はどんどん発展し、人々の理解がどんどん変化し深まって行くことから、改めて聖書の読み方として、「科学的な」解説書としてではなく、「天地創造」の本質を知らしめる文書であることを思い知らされます。

(図はhttps://www.moreunseenrealm.com/wp-content/uploads/2014/12/Heiser-Genesis-and-Ancient-Near-Eastern-Cosmology-FSB.pdf より)

創世記1:6-8 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。

創世記1:7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。

創世記1:10 神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。

創世記7:11 それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、

創世記8:2 また淵の源と、天の窓とは閉ざされて、天から雨が降らなくなった。

創世記37:35 子らと娘らとは皆立って彼を慰めようとしたが、彼は慰められるのを拒んで言った、「いや、わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」。こうして父は彼のために泣いた。

民数記16:30 しかし、主が新しい事をされ、地が口を開いて、これらの人々と、それに属する者とを、ことごとくのみつくして、生きながら陰府に下らせられるならば、あなたがたはこれらの人々が、主を侮ったのであることを知らなければならない」。

申命記10:14 見よ、天と、もろもろの天の天、および地と、地にあるものとはみな、あなたの神、主のものである。

サムエル記上2:8 貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、王侯と共にすわらせ、栄誉の位を継がせられる。地の柱は主のものであって、その柱の上に、世界をすえられたからである。

サムエル記下22:8 その時地は震いうごき、天の基はゆるぎふるえた。彼が怒られたからである。

列王記上8:27 しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。ましてわたしの建てたこの宮はなおさらです。

ヨブ記26:11 彼が戒めると、天の柱は震い、かつ驚く。

ヨブ記37:18 あなたは、鋳た鏡のように堅い大空を神とともに張り延ばすことができるのか。

詩篇78:22-24 これは彼らが神を信ぜず、その救の力を信用しなかったからである。しかし神は上なる大空に命じて天の戸を開き、彼らの上にマナを降らせて食べさせ、天の穀物を彼らに与えられた。

詩篇104:5 あなたは地をその基の上にすえて、とこしえに動くことのないようにされた。

詩篇148:4 いと高き天よ、天の上にある水よ、主をほめたたえよ。

箴言8:27 彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、わたしはそこにあった。

マラキ書3:10 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。

ユダヤ人がヤーウェを讃えてバビロン人に対してマードックなどに比べものになるものか、と自慢している様子を想像します。私たちもその思いを共有できるのではないでしょうか。

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証し 2017/4/9

聖句:箴言3:5-6(p.882)
「心をつくして主に信頼せよ。自分の知識にたよってならない。すべての道で主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

 みなさん、歴史はお好きですか?
ちょっと難しいと思うこともあるのではないでしょうか。

 本を読んだり、難しい話を聞いたり、は苦手だけれど、大河ドラマは好きという方、
歴史はよくわからないけど、お城やお寺などを見るのが好きな方、
あるいは、歴史と聞いたら、気分が悪くなってくる、という方も?

 私の中学時代の教科書はどういうものだったか、思い出してみたところ、
どうやら、私の中学時代は、現代社会、地理、歴史、公民の順で学んだようです。
今もだいたい同じかもしれませんね。

 現在、「おんな城主直虎」という、私のような戦国好きにとっては、毎年放送される対gあドラマが興味深いです。来年度、平成30年度(まだ平成であれば、ですが)は、「西郷(せご)どん!」という林真理子さん原作の西郷さん(西郷隆盛)を主人公とした大河ドラマが放送される予定のようです。鈴木亮平という俳優さんが西郷さんを演じるそうです。
鹿児島出身者としては、「篤姫」同様見逃してはいけないドラマになりそうです。

 こういう話をすると、私は歴史好きな人だと思われそうですが、もともと嫌いでした。
キリスト教伝来1549年は、語呂合わせで「いごよくなれとキリスト教」
関ヶ原の戦い1600年は、切りがよいので、おぼえやすかったですが、それ以外の年号を覚えるのが嫌いでした。1192年「いい国つくろうかまくら幕府」と覚えた歴史は、今では1185年だったことがわかり、「いい箱つくろうかまくら幕府」に変わったそうです。
1192年に源頼朝が征夷大将軍になったので、その年を鎌倉幕府成立の年としていたそうですが、1185年には、全国に守護・地頭などを置いて幕府の体制ができていたことがはっきりしたようです。その守護・地頭の中に薩摩の島津家もあり、江戸時代になると、1609年には、琉球にも侵攻してきました。これは本土側からは「琉球征伐」と呼ばれているようですが、奄美大島、徳之島、沖永良部島、そして沖縄本島と支配下におさめたようです。

 自分が生きている時代とは直接関係無いことだと思うし、そんなことを勉強しないといけない理由がよくわかっていませんでした。そこからなぜ歴史好きになったかというお話をします。
 私は、鹿児島県から沖縄県に移り住んで30年経ちました。
21歳の4月19日に、沖縄キリストの教会のイースターピクニックに参加してから、大学と大学院で7年間、その後保健師として7年間働いて、2001年から教育機関に勤めています。
 この2つめの期間、前職の7年間、市町村で保健師をした時に、職場の人間関係に悩んだのがきっかけでした。ちょうどその時期に放映されていたのが、「毛利元就」(1997年)という大河ドラマでした。今の広島県あたりの戦国武将を主人公にしたテレビ番組があり、これを見て、いろいろと敵に勝つ戦略を勉強したものです。
 それと同じ時期に、人間関係に関する本を読んでいたら、戦国武将が困難を乗り越えた話がいくつも紹介されていました。「風林火山」という言葉でも有名な「孫子の兵法(そんしのひょうほう)」に、「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉があります。相手のことも何知らないから、戦っても負けるのであって、よく知って備えるということでした。
「戦うのは下策、戦わずに相手をくだすのが上策」というのもあります。どうやったら勝てるか、と考えていましたが、どうしたら、相手も自分も幸せになるか、WIN-WINの関係と呼んだりしますが、それを考えるようになって、人間としても、クリスチャンとしても、成長したのではないかと思います。
 対立している間は、相手のことを考えるのも嫌ですが、その人にも家族がいて、友達がいて、警察に逮捕されてもいないし、罰金を払っているわけでもない、ただ、私とはウマが合わないだけなのだと。

 ウマと言えば、モンゴルの騎馬部隊が、チンギスハンというリーダーのもと、ユーラシア大陸をすべて従えていく話も近頃読みました。
 最近では、鎌田先生も住んでおられたという満州国を舞台とした「中原の虹」という4巻組の小説を読んで、第二次世界大戦前後の満州の治安状況を知りました。そこにモンゴルに由来する馬賊という言葉が出てきて、張作霖(チャンヅオリン)という馬賊出身の人が爆破して死んだのだとか。
 以前読んだチンギスハンの話を読みたくなり、「世界を創った男チンギスハン」4巻組を借りて読んだら、モンゴルの国に対する世界観が変わりました。

 大相撲で長い間日本人力氏が横綱になれませんでしたが、その間、横綱で頑張っていたのがモンゴルの力士ですよね。モンゴルの方たちは、未だにテントを張って生活しているらしいので、原始的な生活をしている遅れた民族ではないかと、漠然と思っていましたが、彼らは土地を傷つけることを嫌うのだそうです。土地を耕す「農耕」を行う中国の人々に対して、野蛮な民族だと考えていたようで、それらを取り入れませんでした。知っていて取り入れなかったので、遅れていたわけではないようですね。現在は主都の「ウランバートル」に全人口280万人の約半分130万人が暮らしているんだそうです。遊牧民も40万人ほどいるそうです。

 同じアジアの民族のことなのに、人間は、知らないことがいっぱいありますよね。

 このチンギスハンが、モンゴル帝国を大きくして、その孫フビライハンが「元」という帝国を作って、「元寇」と呼ばれる戦争を日本の福岡で行った時は、「室町幕府」の時代でした。

 ちなみに室町幕府の成立は、1336年または1338年とされているそうです。源義経が大陸に渡ってチンギスハンになったという伝説もありますが、チンギスハンの研究が進んできて、そうでない可能性が高くなったそうです。

 このチンギスハンの時代、イスラエルなどのキリスト教文化圏の人々もモンゴル帝国に取り入れ、イスラム教やインドの宗教などもみとめて、宗教をそれぞれが大事にすることを認めていたそうです。

 これから、また私の興味は拡がって、ドイツのナチスがどんなことをしたのか、ローマ帝国は、どうやってできたのか、など、学んでいくでしょう。
 それらの知識を取り入れて、知的欲求を満たすことは、神様からも何もとがめられることはないと思いますが、それらの知識だけに頼って生活していくとしたら、いつか、神様の愛を思い出させられる事件が起こるに違いありません。

 戦争を知らない世代としては、戦争がなぜ起こったのか、そのことにも興味を持って学ぶ姿勢が無ければ、同じ過ちを繰り返すのだと思います。たとえ政府が同じ過ちを繰り返したとしても、国民としては、徴兵される前に外国に逃げるとか、何か方策があるかもしれません。
太平洋戦争時に敵国のアメリカに住んでいた日系人は、つらいめにあったと聞きますので、逃げる場所も選ばなければなりませんね。そういうことをしないでもいい時代が続いてほしいものです。

 私は高校では、歴史でなく地理を選択しました。地理の方が今の生活にも役に立つと考えたからです。もちろん役に立っている部分はありますが、特に世界地理などは、地図で学んだだけで、一度もそこへ行けてません。外国と言えば、仕事で行った韓国くらいです。
 歴史は、その時代の人々の考え方が今の生き方に影響を与えています。
聖書の歴史もそうだと思います。キリスト教ではない友人にキリスト教のことをわかってもらうためにも、自分自身がより学ばなければならないと思い、聖書の学びをコツコツ続けていますが、それが教会学校で子供たちに伝える立場になったことで、活かせていますし、さらに学び続けることができています。
 今後も歴史を含めて、聖書のことも学び続けていきたいと思います。

 最後に、本日の聖句を選んだ理由として、学び続けることは大事ですが、それだけに頼ってはいけないということを神様が示して下さっていると感じたからです。

 教育機関で若者に教えるという仕事をしていますが、これまで蓄えてきた知識だけに頼ろうとする若者たちに、「自分で考える」ことの大切さを伝えています。
 教えられたことも疑ってかかる、誰が言っているのか、本当なのか?どんな場合でもあてはまるのか、など、看護職として、人の健康や命に関わる人になるために、うのみにしない、おしつけない、ということを繰り返し伝えています。

自分の知識にたよってならない。
 自分への戒めとして、この聖句を心に刻みつつ、神様の知恵を、神様に与えていただく知識を蓄えて、神様の平和を皆様とともに作り出していける人間へと成長したいと思います。
 私は今年51歳になります。天国への旅立ちの時も、少しずつ近づいている気がしますが、
「今自分にできることをコツコツと」「1mmでも1cmでも前に進む」ということを自分に言い聞かせながら、日々、知識を蓄え、神様からの知恵を求めていきたいと思います。
この聖句を書いたと言われているダビデ王の子、ソロモン王のように。

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聖書の読み方「我々に似せて・人とは?」(聖書神学)(聖書の考古学)

聖書の読み方によって大きな示唆を与えられるのがこの問題ではなかろうか?・・・「人とはなにか?』”What is man?”・・・人と他の生き物とはどう違うか? 人と地球上の他の存在とを決定的に区別する性質・定義は何か?

(上のイメージはhttps://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2010/mammal/riku/及びhttps://www.ensinarhistoriajoelza.com.br/estereotipos-filmes-historicos/より)

How are humans different from other living creatures? What are the defining qualities that sets us apart from other living beings? In other words, “What is man?”.

百科事典や最近ではグーグル検索などでウィキペディアで調べる人が多くなっているが、そこには何とあるか?

We can look into a modern Encyclopedia or perhaps “google” the term in Wikipedia to get an answer. So what does it say?

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒト

https://en.wikipedia.org/wiki/Human

ウィキペディアを含め色々勉強したり調べてりしてみると、結論的に生物学的な方法だけではヒトと類人猿などとの線引きは難しいことが分かる。

We can see that it is difficult to differentiate humans from other living creatures solely in biological terms.

そこで、聖書の筆者(達)がどのような視点で人間を見ているか、聖書が書かれた当時の周りの文化・文明と比較すると鮮明になってくる。

Looking at the ancient near eastern cultural and textual context in which the writer(s) of the Old Testament wrote helps us understand how the Bible defines “man”.

「古代ヘブライの宇宙観」も参照

代表的な古代中近東文書(神話)は「エリデゥー創世記(Eridu Genesis)」、「アトラ・ハシース(Atra-hasis)」、と「エヌマ・エリシュ(Enuma Elis)」である。

この図はこれらの神話に「登場」する神々で、神話によって、あるいは神話のヴァージョン(同じ内容の粘土板写しが複数、違う時代の違う場所で見つかっている)によって色々な名前で呼ばれている。

This is a chart of the many gods depicted in these epics and how they are related to each other. The same god is called by different names in the various epics, and the many versions of the epics.

エリデゥー創世記 Eridu Genesis

最古のシュメール神話であるエリデゥー創世記では(エンキ、エンリルと一緒に)人間を造った女神ニンターが人間たちに神々のための町や礼拝所をつくらせよう、と始まる。すなわち、人間は神々がこの地上で快適に過ごせるための道具である。

The oldest of the Mesopotamian creation myths, the Sumerian Eridu Genesis begins (on line 37, the first 36 lines lost) with the goddess Nintur who (along with Enki and Enlil) created humans, talking about regathering the humans to build cities and temples for the gods. In other words, humans are tools to enable the gods to abide comfortably.

エリデゥー創世記(Eridu Genesis)
最も完全な粘土板は1895年にNippurで発見された。1914年にこれを最初に翻訳したArno Poebelはこの粘土板を紀元前2000-1800年頃のものと推測した。Eridu Genesisと名付けたJacobsenは紀元前1600年頃のものとしている。(Bridge, E. J. (2016)., The Lexham Bible Dictionary. Bellingham, WA: Lexham Press.)

アトラ・ハシース Atra-hasis

二番目に古いメソポタミアの創造神話、アトラハシースでは厳しい環境の中で位の低い神々たちが上の神たちが住みよくするために労働することを押し付けられた事に反発して上の神を殺す企てを知って、彼らをなだめるために、代わりに労働をするために人間を作ったというお話。

The second oldest Mesopotamian creation myth, the Atra-hasis tells of the lesser gods who had to do all the hard labor to maintain a living place in the harsh environment, revolting and planning to kill one of the greater gods. Having getting wind of their plot, the greater god created humans to labor in the place of the lesser gods.

アトラハシース(Athrahasis)
最も完全な粘土板は1890年代にSippurで発見された。それは紀元前1636-1635年頃にバビロン王アミセドゥーカ治世の頃の書記(scribe)Nur-Ayaによって書かれたもので、1898年にScheilによって発表された。イギリスの古代近東学者DalleyによるとNur-Ayaは紀元前2390-2335年に生きたとされるウルの女神官Enheduanaが記した文書を写し取ったとされる。(Bridge, E. J. (2016)., The Lexham Bible Dictionary. Bellingham, WA: Lexham Press.)

エヌマ・エリシュ Enûma Eliš

3つ目のエヌマ・エリシュはバビロニア神話で、中心にマルドゥク神が据えられ、人間は神々への奉仕のために存在しているというバビロニア人の世界観が分かる。
The third is the Babylonian myth Enûma Eliš, in which Murdoch is the central god, with people existing to serve the gods.

エヌマ・エリシュ(Enuma Elis)
19世紀にアッシュールバニパルの図書館で発見された。7つの粘土板からなり、アッシリヤ版ではアッシュール、バビロニア版ではマードックが主神。アッカド語が用いられていることやハッムラビ王(紀元前1728-1686年)がこの神話に言及していることより、物語の起源は古いとされる。(Dunne, J. A. (2016). The Lexham Bible Dictionary. Bellingham, WA: Lexham Press.)

聖書では・・・

我々に・・・かたどり צַלְמֵ֖ (ṣě·lěm, image, 形)

我々に・・・似せて דְּמוּת (demûṯ, likeness, 似せたもの)

神は言われた。「我々にかたどりצַלְמֵ֖(ṣě·lěm)、我々に似せてדְּמוּת(demûṯ)、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」(新共同訳)

創世記1章26節

と述べます。創世記において、צַלְמֵ֖ (ṣě·lěm, image, 形)とדְּמוּת (demûṯ, likeness, 似せたもの)は、創造者の形と機能を反映するものとして人間を表している訳です。

The Net Bible First Edition (2005); Biblical Studies Pressより

「形」は身体的な側面(physical)より精神的・霊的な側面(spiritual)に重点があります。「神に似たもの」(”image of God”)とは神との関係性を感知できる(relate to)ために付与された能力、「神に似る」(”to image God”)機能。

The Lexham Bible Dictionary (2016); Lexham Press より

『人」は神の」地上における代理者(earthly vice-regents)として創造され、その秩序を支配し神に使えることができる存在。

The Net Bible First Edition (2005); Biblical Studies Press より

つまり、神様に付与された代理者としてのstatusということになります。

アブラハムが大凡紀元前2000年頃、モーセが紀元前1500年頃の人とし、聖書がモーセの時代から文字として残され始めたことを考えると、ほぼ同時代の文明の神観・人間観との大きな違いに驚かされます。古代に思いを馳せると聖書の読み方が深まります。 (文責 義彦)

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証し「一つの課題」(S姉)

引用聖句:マタイによる福音書11章28節(ピリピ人への手紙4章6-7節)

皆さんおはようございます。最近は100歳まで生きる人の話を良く聞くので、私など未だ8?歳で弱音を吐いてはいけないと思って、あれこれ頑張らなくてはと思っているのですが、体が思うように動いてくれなくて本当に情けなく思ったりしています。でも、神様からいただいている命ですから、最後まで分相応にできるだけのことをして、毎日感謝をしつつ、歩んでいければそれでいいのではないかと、今日も導かれるままに証しをさせていただくことになりました。

ある日の夕方、電話がかかってきたので出てみると、古くからの友人からでした。彼女は敬虔なクリスチャンで、ある病院のホスピス病棟でボランテアで毎日忙しく働いています。しばらくぶりの電話だったので、懐かしさと嬉しさでお話が弾みました。友人のお母さんは76歳の時、お一人でアメリカ旅行に行かれたそうです。言葉はもちろん、アメリカの土地柄も何もわからないままに行ったんだそうです。それは、当時、友人がアメリカに住んでいたので、向こうに行ったら、彼女が迎えに来てくれるさとなんの不安げもなくでかけて行ったそうです。娘が、あちらで待っていてくれる、ただそれだけを信じて行動したことは、ちょうど私たちが天国へ旅立つことに似ていると思います。私たちは未だ天国に行ったことがありません。未知の世界です。でも、たった一つだけ知っていることはそこにはイエス様が両手を広げて待っていてくださるということです。ただ、そのことだけを信じて私たちは安心して人生行路を進めていけるのではないでしょうか。友人が奉仕をしているホスピス病棟に入院している患者さんたちは、初めは自分の死についてとても不安を抱いているそうです。その患者さんたちから、死の恐怖と取り除き、安心して平安のうちに召されていけるようにしてあげるのが、ホスピスの仕事だそうです。ある患者さんが、天国へ入るということは、マラソンのように最後まで走りきって、やっとゴールインした選手を、そこで待ち受けていた人が大きなタオルで包んでそこで優しくいたわっている光景と似ているのでしょうね、と感想を漏らしていたそうです。友人はとても感動したと言ってました。

その、彼女にも一つの大きな悩みがあるそうです。それは、彼女の姉さんが信仰を受け入れてくれないと言うことです。姉さんが嫁いだ家は先祖代々、仏壇を大事にしている家で、それから抜けられないと言っているのだそうです。そういえば、私が嫁いだ家も大きな仏壇があり、お母さん(姑)が年中行事にはご馳走をたくさん作って、仏壇にお供えして、敬虔にその勤めを果たしていました。その頃、キリスト教の教えを学ぶようになっていた私は、偶像礼拝は大きな罪であり、神様の最も嫌われることである、仏壇もその一つであると学び、恐る恐るお母さんに話したのです。案の定、お母さんは何をこの子は言っているの。少し、おかしくなったんじゃない、と相手にもしてくれませんでした。また、友人の悩み同様、私も妹に信仰を理解してもらえないのです。こう言う厚い壁の前で、信仰者はどうすれば良いのでしょう。一つの課題にいつも思い悩み、自分の信仰の足りなさや、力の弱さに打ちひしがれていました。ところがふと、私はピリピ人への手紙4章、6節から7節のみ言葉に出会いました。そこで、イエス様のみ声を聞きました。「何ごとも思い煩ってはいけない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたの心と思いを、キリストイエスにあって守るであろう」。ああ、神様あがとうございます。私はなんと思い上がっていたんでしょう。自分にできるないことをやろうとして、無駄あがきをしていたことに気づいたのです。神様に一切をお委ねして、私たちはただ、祈りと願いとを捧げて、神様の平安のうちに生きていけばいいのです。

(上は約14分のお話しの要約です。文責・義彦)

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聖書の読み方「創世記は神話?古代近東文書」(聖書の考古学)

聖書の読み方:::イギリスのアッシリア学者、ジョージ・スミスが1872年12月3日に聖書考古学学会(Society of Biblical Archaeology)で大洪水(Great Flood, Deluge)についての記述を粘土板(ギルガメッシュ叙事詩第11粘土板)から解読し発表した時には、イギリスのみならず世界のキリスト教界では大変な騒ぎになりました。何しろ、旧約聖書が書かれ編集されたとされる紀元前1500年〜400年頃より千年以上も遡る年代に旧約聖書の創世記に記されている「ノアの箱舟」の物語と酷似した話がアッシリヤ・バビロン・シュメール文明の「神話」に記されているように見えてきた訳ですから。(スミス写真・粘土板写真はwikipediaより)

その後、多くの考古学者たちの熱意と努力により多くの粘土板が発見されされていきます(表はwikipediaより)。

更に、学者たちの長年の努力によってシュメール語、アッカッド語、バビロン語、ウガリット語が解読され、多くの場合無数の破片となっていた粘土板の修復を経て、それぞれの文明の物語の解明が進んできております。古代近東文書ANET(Ancient Near Eastern Texts)が最初で最もよく用いられているそれらの文書の集大成であり、

更に、The Context of Scriptureがその後発掘・解読された文書を加えています。

イスラエルと言う「国家」が誕生し、神様の啓示によってその歴史と思想を記した聖書の筆者達が、その時代既に周辺にあった古く強大な国家・文明の物語を横目に、「それは違う!天地の始まりはこうだった!大洪水のいきさつはこうだ!」と「神の霊感によって」聖書を書き残していったと言う事実は、これら古代近東文書の解明によってかえって鮮明になっていくことを多くの人々が経験してます。聖書の読み方として聖書の理解を深めるためにそのcontext(背景)となる古代近東文書を押さえておくことは重要だと思います。(文責 義彦)

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聖書の読み方「マソラ本文と創世記1章1節」(聖書批判学)

聖書の読み方について:今日は聖書の一番最初の書の、最初の章の、最初の節の、最初の文字の話です。

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創世記1章 1節:はじめに神は天と地とを創造された。2節:地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。3節:神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 (口語訳1955)

私たちは創世記の出だし部分を読む時に概ね二通りの解釈の内、意識的か無意識的にいずれかを選択していると思います。(1)はいわゆる「無からの創造」(creatio ex nihilo : creation out of nothing)、(2)は混沌と暗黒の中に光と秩序を作り出された業、が表現されています。(この話を聴いて頂いた方に挙手をしてもらったところ、凡そ3対1で(2)の方が多かったです)

(1)初めに、神が天地を創造した結果、「地」という形のない空間と、闇に覆われた深く淀んだ水面ができ、水の表面を神の霊が覆った。そこで神が「光あれ」と言われた。すると光があった。

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(2)神が天地を創造し始めた時には、地は形のない空間の状態で、水の深く淀んだ所には闇があり、神の霊がその表面を覆っていた。そこで神が「光あれ」と言われた。すると光があった。

欧米では教父アウグスティヌスが著書「告白」の中で “Out of nothing didst Thou create heaven and earth …”と”creatio ex nihiko”(無からの創造)と言う創造論を展開したこともあり(宗教改革で活躍したジョン・カルバンなども同様の主張)、これが伝統的な考え方となってきたと言われます。

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ヘブライ語原文の創世記のはじめの言葉を「バー、レイシート」と読むと(1)のように取れる”In the beginning”になるが、「べ、レイシート」と読むと”In the beginning of…”と言う様に訳され、(2)の読み方になると言う。

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レニングラード写本(テベリアのマソラ派による・紀元1008年頃・現存する最古の完全なヘブライ語聖書写本)など、マソラ学者によって母音が表記されているヘブライ語聖書写本ではבָּではなくבְּとなっています。

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つまり、文法的には “In the beginning of 〜 God … ” とするのが正しい様です(Mark S. Smith著「The Priestly Vision of Genesis 1」 Fortress Press Minneapolis 2010, 2章の1「Does Genesis 1:1 Begin in “the” Beginning?」参照)。

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これは最近のNew Revised Standard Version (NRSV 1989)やNew Jewish Publication Society (NJPS 1985)の訳に反映されています。

בְּרֵאשִׁ֖ית בָּרָ֣א אֱלֹהִ֑ים אֵ֥ת הַשָּׁמַ֖יִם וְאֵ֥ת הָאָֽרֶץ

KJV1900 “In the beginning God created the heaven and the earth.”

NASB199t “In the beginning God created the heavens and the earth.”

NRSV1989 “In the beginning when God created the heavens and the earth, ”

NJPS1985 “When God began to create heaven and earth, ”

「創造」された、bā·rā(ʾ)(バラー)をcreatio ex nihilo (無からの創造)の根拠とする読み方は、bā·rā(ʾ)が他の使い方もされていることから正しいとは言えないようです。ただ重要なのは、ヘブライ語で「作る」を意味するעָשָׂה (ʿā·śā(h))(アサー)やיָצַר (yâtsar)(ヤッツァー)などの 他の言葉と違って、神様以外の主語には使われていないということです。

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(尚、創世記1章1節が必ずしもcreatio ex nihilo (無からの創造)を支持する書き出しになっていないということは、creatio ex nihilo (無からの創造)を否定しているということではありません。聖書の他の箇所ではcreatio ex nihilo (無からの創造)をしっかりと読み取れます。)

まとめ:聖書の読み方として伝統的な読み方にとらわれず、聖書の筆者が実際に記されたことをその記された時代背景に即して正確に読み取る努力は、究極の筆者である神様の御言葉の真意を知ることに繋がると確信しています。(「・・・わたしは真理についてあかしをするために生まれ、また、そのためにこの世にきたのである。・・・ヨハネによる福音書18:37)(文責・義彦)

参考文献(の一つ)

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聖書の読み方「欽定訳聖書 King James Bible」(聖書批判学)

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「あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を調べているが、聖書は私について証しをするものだ。」ヨハネによる福音書 5章39節:::

聖書の読み方を考える上で重要なのは私たちが手に取って読んでいる聖書がどのようにして書かれ翻訳されてきたかを把握することだと思います。

図が忙しくて申し訳ありませんが、本邦において最も用いられていると思われる口語訳聖書、新改訳聖書、新共同訳聖書と、欽定訳聖書との関係が分かるように作りました。
要点のみ申し述べますと欽定訳聖書の新約聖書部分はそのギリシャ語写本としてビザンチン型写本を用いています。ビザンチン型写本より古い写本としてアレキサンダー型写本(中間型写本を含む)が存在し、口語訳聖書を初め、現代型の聖書は基本的に新約聖書部分の元本にこのアレキサンダー型写本が用いられています。ごく単純に申しますと、より新しいビザンチン型写本はアレキサンダー型の写本の欠落(?)や誤写を補ったり修正したりしていると考えられています。改善のつもりが、改竄とも受け取られかねないことも起きているようです。新しい聖書の新約聖書部分は概して欽定訳聖書のそれより少し短いです。それはビザンチン型テキストの書き足し部分や解説の部分を省いているためです。このことを欽定訳聖書主義者たちは神の御言葉を削るものだ、取り除くものだ、冒涜だと批判します。それは大きな間違いで聖書写本の研究は、むしろ原本はどうだったか、旧約時代の預言者たちやキリストの弟子たちが霊感を受けて書き残したものの本当の姿はどうだったかを探求する極めて敬虔な気持ちで行われているということを知るべきです。聖書が私たちの手元に届くまでの歴史をごく簡単に示したこの図の複雑さもそれを物語ると思います。
ある有名で敬虔なクリスチャンである聖書学者が、どの聖書が1番良い聖書だと思いますか、と言う質問に対して、あなたが1番よく読む聖書です、と答えていました。との聖書でも良いのです。それを読み込むことが重要なのです。「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである(ヨハネによる福音書 5:39)」。神であるイエスが私たちに何を言わんとしていらっしゃるか、聖書全体を通して是非読み取っていきたいものです。 (文責 義彦)

追加原稿:2018年に日本聖書協会により、「聖書協会共同訳聖書」が発刊されましたので、アポグリファ(「旧約聖書続編」)の位置付けが分かるよう前記の図に修正を加えて図を追加しました。

前図ほど綺麗ではありませんがより正確ですので、聖書の読み方の助けになれば幸いです。(文責 義彦)

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