イエス・キリストはいつ生まれたか?
When Was Jesus Christ Born?
なぜ歴史家は誕生日を議論するのか?
How historians approach the question
キリスト教は、神話ではなく歴史の中で起こった出来事を語ります。
そのため、歴史家たちは聖書本文、古代史料、天文学などを用いて、
イエス・キリストの誕生時期を慎重に再構成してきました。
信仰を持つ歴史家と持たない歴史家が、同じ史料と天体記録を用いて検討する。
ヘロデ大王という歴史的基準点
Herod the Great as a historical anchor
マタイ福音書とルカ福音書はいずれも、イエス・キリストの誕生を
「ヘロデ大王の時代」に位置づけています。
したがって、イエスの誕生時期を考えるうえで、
ヘロデ大王が「いつ亡くなったのか」は決定的に重要な問いとなります。
この点で鍵となる史料が、1世紀のユダヤ人歴史家ヨセフスによる
『ユダヤ古代誌』です。
ヘロデ大王の年表 / Timeline of Herod the Great
【参考年表(ヘロデ大王)】
・前40年頃
ローマ元老院により「ユダヤの王」として承認される。
・前37年
エルサレムを制圧し、実質的な統治を開始。
・晩年
重い病に苦しみ、宮廷内での権力闘争が激化。
・死去直前
月食が起こり、その後まもなく過越祭が行われたと記録されている
(ヨセフス『ユダヤ古代誌』第17巻)。
・この死の年代をどう定めるかによって、
イエス・キリストの誕生年の再構成が分かれる。
Herod, 74/73 BC to 4/2 BC, aka Herod the Great and Herod I. King of Judea. After a 19th century illustration by Claudius Joseph Ciappori-Puche.
Flavius Josephus (37-C100). /Njewish Historian And General, Carrying A Volume Of ‘The Jewish War,’ To Emperor Vespasian And His Son, Titus. Latin Manuscript Illumination, 11Th Century.
月食という天文学的手がかり
A lunar eclipse as an astronomical clue
ヨセフスは、ヘロデ大王の死の直前に「月食」が起こったと記しています。
この記述は、現代の天文学データと照合することができます。
参考文献
※ 参考原文(英語)
“Now Herod deprived this Matthias of the high priesthood,
and burnt the other Matthias, who had raised the sedition, alive,
and this very night there was an eclipse of the moon.”
— Josephus, Antiquities 17.6.4 (§167)
(原文・ギリシア語)
τὴν αὐτὴν δὲ νύκτα καὶ τῆς σελήνης ἔκλειψις ἐγένετο.
過去の月食は、計算によって正確な日時が分かるため、
歴史学者は「どの月食が該当するのか」を検討します。
候補となる月食には、主に次の2つがあります。
・前4年3月13日
部分月食(過越祭まで約1か月)
・前1年1月10日
皆既月食(過越祭まで約3か月)
月食という天文学的手がかり
The lunar eclipse mentioned by Josephus
ヨセフスは、ヘロデ大王の死の直前に
「月食が起こり、その後まもなく過越祭が行われた」
と記しています。
この記述をもとに、歴史家と天文学者は、
当時エルサレムで観測可能だった月食を特定しようと試みてきました。
その結果、主に二つの候補が挙げられています。
【主な二つの候補】
・前4年3月13日
部分月食。過越祭までの期間が比較的短い。
・前1年1月10日
皆既月食。過越祭までに十分な期間がある。
どの月食を採用するかによって、
ヘロデ大王の死の年代、ひいては
イエス・キリストの誕生年の再構成が変わってきます。
紀元前7年から紀元1年の間でエルサレムで見ることのできた月食
部分月食の時の太陽、地球と月の位置関係
部分月食の時の太陽、地球と月の位置関係
なぜ多くの研究者は「前4年」を採用してきたのか
Why many scholars place Herod’s death in 4 BCE
ここから先は、歴史資料と天文学的手がかりをどのように読み取るかによって、
研究者の見解が分かれる部分に入ります。
多くの歴史家は、長く支持されてきた年代を採用していますが、
一方で、近年の再検討により別の理解を提示する研究者もいます。
以下では、まず広く共有されている見解を確認し、
そのうえで、なぜ別の年代を支持する議論が生まれたのかを見ていきます。
現在、多くの歴史学者や参考書は、
ヘロデ大王の死を「前4年(4 BCE)」としています。
この見解は、1世紀の歴史家ヨセフスの記述と、
天文学的な計算を組み合わせることで形成されました。
ヨセフスは、ヘロデの死の直前に月食が起こり、
その後まもなく過越祭が行われたと記しています。
これに対応すると考えられてきたのが、
前4年3月13日に起こった部分月食です。
この月食から同年4月の過越祭までは約1か月あり、
その間に、ヘロデの最期の出来事が起こったと
説明することが可能だと考えられてきました。
こうした理由から、長い間、
「前4年」という年代が標準的な理解として
広く受け入れられてきたのです。
この見解の主な根拠は、次の3点です。
・ヨセフスの記述にある「月食」と「過越祭」
・前4年3月に起こった部分月食の存在
・その後の歴史的再構成が比較的単純であること
参考文献 / References
・Josephus, Antiquities of the Jews, Book XVII
・Emil Schürer, The History of the Jewish People in the Age of Jesus Christ
・Jack Finegan, Handbook of Biblical Chronology
・Harold W. Hoehner, Chronological Aspects of the Life of Christ
少数説:ヘロデ大王は前1年に没したとする見解
The minority view: Herod’s death in 1 BCE
一方で、すべての研究者が前4年没説に同意しているわけではありません。
少数ながら、ヘロデ大王は前1年に没したとする見解も、
近年あらためて検討されています。
この見解は、ヨセフスの記述を否定するものではなく、
むしろ「どの月食を指しているのか」という解釈の違いに基づいています。
前1年没説を支持する研究者たちは、主に次の点を指摘します。
・ヨセフスが記す月食は、前4年3月の部分月食よりも、
前1年1月の皆既月食の方が、叙述の流れに適合する可能性があること。
・月食から過越祭までの期間が、前1年の場合は十分に長く、
ヘロデの病状悪化、処刑、盛大な葬儀、反乱鎮圧といった出来事を
より自然に配置できること。
・ヘロデ治世年数の数え方について、別の理解が成り立ちうること。
この前1年没説を採る場合、
マタイ福音書およびルカ福音書の記述と、
イエス・キリストの誕生時期(前2〜1年頃)との関係を
比較的無理なく理解できると考える研究者もいます。
このように、ヘロデ大王の没年をめぐっては、
前4年説と前1年説という二つの主要な再構成が存在します。
次に、それぞれの見解がどの点を重視しているのかを、
簡潔に比較してみましょう。
参考文献 / References
・W. E. Filmer, “The Chronology of the Reign of Herod the Great”
・Rodger C. Young, “When Did Herod the Great Reign?”
・Andrew E. Steinmann, “When Did Herod the Great Reign?”
・Josephus, Antiquities of the Jews, Book XVII
4 BCE 説と 1 BCE 説の比較
A simplified comparison of the two major reconstructions
4 BCE(多数説)
・ヨセフスの記述を伝統的に解釈する
・紀元前4年3月13日の月食を想定
・長年、多くの歴史書で採用されてきた
【留意点】
・月食が部分食で、過越祭までの期間が短い
1 BCE(少数説)
・ヨセフスの記述を再検討する立場
・紀元前1年1月10日の皆既月食を想定
・出来事の経過に十分な時間を確保できる
【留意点】
・少数説であり、再構成には仮定を含む
見解の違いが存在すること自体が、
聖書の物語が神話ではなく、歴史の中で受け止められてきた証しでもあります。
本ページで参照した古代史料および現代研究については、
以下のページにまとめています。
まとめ ― 教会としての理解
A concluding perspective from the church
本ページでは、聖書本文、古代史料、天文学的知見をもとに、
イエス・キリストの誕生時期について、いくつかの歴史的再構成を紹介してきました。
多くの研究者が前4年説を支持している一方で、
前1年説もまた、史料の読み直しや天文学的検討を通して
真剣に議論されている少数説であることが分かります。
当教会は、これらの議論を通して、
信仰が歴史的探究と対立するものではなく、
むしろ誠実な問いを歓迎するものであると考えています。
イエス・キリストの誕生年を正確に特定すること自体が
信仰の本質ではありません。
しかし、神が歴史の中において人となられたという出来事を
真剣に受け止めるとき、
その「いつ」を問うこともまた、意味ある営みであると信じています。
こうした理由から、当教会は、
イエス・キリストの誕生を前1年頃と理解する立場に
一定の説得力があると考えつつ、
他の見解を排除することなく、対話を続けていきたいと願っています。