「マソラ本文と創世記1章1節」・聖書の考古学(文書学)

今日は聖書の一番最初の書の、最初の章の、最初の節の、最初の文字の話です。

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私たちは創世記の出だし部分を読む時に概ね二通りの解釈の内、意識的か無意識的にいずれかを選択していると思います。(1)はいわゆる「無からの創造」(creatio ex nihilo : creation out of nothing)、(2)は混沌と暗黒の中に光と秩序を作り出された業、が表現されています。(この話を聴いて頂いた方に挙手をしてもらったところ、凡そ3対1で(2)の方が多かったです)

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欧米では教父アウグスティヌスが著書「告白」の中で “Out of nothing didst Thou create heaven and earth …”と”creatio ex nihiko”(無からの創造)と言う創造論を展開したこともあり(宗教改革で活躍したジョン・カルバンなども同様の主張)、これが伝統的な考え方となってきたと言われます。

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ヘブライ語原文の創世記のはじめの言葉を「バー、レイシート」と読むと(1)のように取れる”In the beginning”になるが、「べ、レイシート」と読むと”In the beginning of…”と言う様に訳され、(2)の読み方になると言う。

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レニングラード写本(テベリアのマソラ派による・紀元1008年頃・現存する最古の完全なヘブライ語聖書写本)など、マソラ学者によって母音が表記されているヘブライ語聖書写本ではבָּではなくבְּとなっています。

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つまり、文法的には “In the beginning of 〜 God … ” とするのが正しい様です(Mark S. Smith著「The Priestly Vision of Genesis 1」 Fortress Press Minneapolis 2010, 2章の1「Does Genesis 1:1 Begin in “the” Beginning?」参照)。

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これは最近のNew Revised Standard Version (NRSV 1989)やNew Jewish Publication Society (NJPS 1985)の訳に反映されています。

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「創造」された、bā·rā(ʾ)(バラー)をcreatio ex nihilo (無からの創造)の根拠とする読み方は、bā·rā(ʾ)が他の使い方もされていることから正しいとは言えないようです。ただ重要なのは、ヘブライ語で「作る」を意味するעָשָׂה (ʿā·śā(h))(アサー)やיָצַר (yâtsar)(ヤッツァー)などの 他の言葉と違って、神様以外の主語には使われていないということです。

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(尚、創世記1章1節が必ずしもcreatio ex nihilo (無からの創造)を支持する書き出しになっていないということは、creatio ex nihilo (無からの創造)を否定しているということではありません。聖書の他の箇所ではcreatio ex nihilo (無からの創造)をしっかりと読み取れます。)

まとめ:伝統的な読み方にとらわれず、聖書の筆者が実際に記されたことをその記された時代背景に即して正確に読み取る努力は、究極の筆者である神様の御言葉の真意を知ることに繋がると確信しています。(「・・・わたしは真理についてあかしをするために生まれ、また、そのためにこの世にきたのである。・・・ヨハネによる福音書18:37)(文責・義彦)

参考文献(の一つ)

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