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聖書の読み方―キリストが御言葉

Y.K.証し 2025年9月21日

聖書:ヨハネによる福音書1章1節
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(新改訳2017)

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(共同訳2018)

Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος,
En arche en ho logos,
In the-beginning was the word

καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν,
kai ho logos en pros ton theon,
and the word was with the God,

καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος.
kai theos en ho logos.
and God was the word.
(The Lexham Greek-English Interlinear New Testament (Bellingham, WA, 2008))


要約
⸻ 1. 導入 ― 大会の喜びと今日の証しの目的
今年7月、埼玉で開催されたキリストの教会全国大会に参加しました。「有楽器派」「無楽器派」「ディサイプルス」の三分派が一堂に会し、基本的に同じ信仰を共有していることを実感できました。集まった兄弟姉妹との「同じ霊的な肌感覚」も大きな恵みでした。

初代教会は歴史の中で多くの教派に分かれていきました。十九世紀、アメリカでキリスト教の復興運動が始まったのは、分派・分裂により「派が違うから」と結婚や聖餐式を断られる状況に疑問を持った人々が「聖書だけに立ち返ろう」「愛による一致を求めよう」と立ち上がったからです。

今回の「聖書研究」分科会は期待通り豊かな学びとなりました。今日は時間の関係で詳細は省き、お配りした資料をご参照ください。

聖書研究歴60年の平信徒として、聖書研究で最も大事な点をお伝えします。長い間、私は聖書の読み方を誤解していました。それは「聖書とは何か、何ではないか」という点です。

皆様は「御言葉」とは何だと思いますか?「御言葉」は「聖書」でしょうか?私はそう思っていました。しかし聖書自身によって、これが間違いだと教えられました。「御言葉」は「聖書」そのものではなく、イエス・キリストのことです。そして聖書はキリストについて証しする書物なのです。この違いを理解することが重要です。

⸻ 2. 御言葉はキリスト ― 聖書は証言者
聖書を見ると、ヨハネ1:1には「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」、黙示録19:13では「その名は神のことばと呼ばれていた」とあります。

御言葉とはイエス・キリストご自身であり、聖書はキリストを指し示す証人です。バプテスマのヨハネが「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」とキリストを指し示したように、聖書もキリストを指し示しています。

ルカ24:27ではイエスが「モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた」とあります。イエスご自身が、聖書全体が自分について証しをすると語られました。

⸻ 3. 聖書の成り立ち ― 神の導きの物語
私たちの聖書(旧約39巻、新約27巻)は一夜にしてできたものではなく、5~6百年にわたる多くの筆者たちの祈りと信仰の中で形成されました。

ユダヤ人は旧約を「TANAKH」と呼び、トーラー(律法)、ネビーイーム(預言者)、ケトゥビーム(諸書)から成り、紀元1世紀頃に正典化されました。紀元前3世紀には「セプトゥアギンタ(LXX)」が生まれ、新約著者たちはこのギリシャ語訳から多く引用しています。

この間「アポクリファ」と「偽典」も現れました。TANAKHを「教科書」とすれば、アポグリファは「副読本」、偽典は「参考文献」のような位置づけです。

新約聖書は初めパウロの手紙が記され、後に福音書、諸書簡、黙示録が加わり、4世紀に現在の27巻が正典となりました。聖書は単なる古文書ではなく、歴史を超えて御言葉について証しする貴重な書物です。

⸻ 4. 聖書の読み方 ― 教父たちの教え
旧約聖書を文字通りに読むだけではイエスは見えてきません。初期の教父たちは聖書の読み方を整理しました。オリゲネスは三つの方法を挙げています:1)良い写本の比較、2)文章のジャンル理解(詩か譬えか歴史か)、3)言葉を時代背景に照らして理解すること。

しかし最も大切なのは、すべてをキリストとその福音に照らし、聖霊の導きによって読むこと(キリスト中心)です。

⸻ 5. 福音とは
キリスト中心の福音とは何でしょうか?パウロは「私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していた」(Ⅰコリント2:2)と言います。十字架上のイエス、その姿と言葉こそが福音です。

イエスは十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分かっていない」(ルカ23:34)と言い、犯罪人に「今日、あなたは私と共にパラダイスにいる」(ルカ23:43)と語りました。これが御言葉であり福音なのです。

⸻ 6. 翻訳の違いを見極める ― 神の心、人の心
キリストの福音に照らして聖書を読むと、翻訳の違いや難解な箇所の理解が明らかになります。

例えば、イザヤ53:10は新改訳で「彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった」となり、神が苦難のしもべを打ち砕くことを望むという代償的贖罪の概念を示します。しかし七十人訳では「主は彼の傷を清めることを望まれる」と訳され、初期キリスト者たちは贖罪を「制裁」ではなく「癒し」と理解していたことが分かります。

ローマ5:9も、一般的に「神の怒りから救われる」と訳されますが、原文には「神の」はなく、七十人訳の背景からは「滅ぼす者の怒り」からの救いと解釈できます。

エレミヤ17:9は一般に「人の心はねじ曲がっている」と訳され人間の全的堕落の根拠とされますが、七十人訳では「心は万物の中でも最も深く、誰がその人を知ることができようか」となり、人間を神の似姿として捉えています。

⸻ 7. 結び ― キリスト中心の読書へ
聖書学習で大切なのは兄弟姉妹と共に学ぶことです。「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(マタイ18:20)とイエスは言われました。

御言葉はキリストであり、聖書はその証人です。この順序を忘れなければ、旧約も新約も、アポクリファも偽典も、七十人訳聖書も、すべてをキリストの福音に照らして読むことができます。
参考書:A More Christlike Word: Reading Scripture the Emmaus Way. 2021 by Bradley Jersak. Whitaker House

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