Introduction
現在、ウクライナの国土・国民がロシアのプーチン軍の攻撃に遭っており、世界中の心ある人々はこの戦争が一日も早く終わるようにと一生懸命祈っていると思います。なのに何故一向に戦争は止まないのか。特にキリスト教徒にとっては全知全能で善なる神様がなぜこれを止めないのか、お許しになられるのか、というホロコースト以来の心の痛みを覚えているのではないかと思います。 「キリスト教入門」と言うには難しい内容ですが、キリスト教入門第10話「バベルの塔」を補完する材料になっていただけたらと思います。
聖書
先ずは、旧約聖書の中のダニエル書から一節お読みします。10章13節です。
「ペルシアの王国の天使長が私の前に二十一日間立ち塞がったが、見よ、偉大な天使長の一人ミカエルが私を助けるために来た。そこで、私はペルシアの王たちのもとに彼を残した。(共同訳2018)」
John Joseph Collins and Adela Yarbro Collins, Daniel: A Commentary on the Book of Daniel, ed. Frank Moore Cross, Hermeneia—a Critical and Historical Commentary on the Bible (Minneapolis, MN: Fortress Press, 1993), 374.
解説
時代は紀元前550年頃、場所は当時のペルシア帝国(現在のイラン)の町。語っているのはユダヤ教の天使ガブリエル。聞き手はユダヤの国のエルサレムからバビロンに捕虜として連れてこられ、バビロン帝国からペルシャ帝国にかわるまでバビロンの街にいたユダヤ人ダニエルです。 ペルシャの世となった年に、ダニエルは自らのユダヤ民族の未来について神様からのお告げを求めて祈っておりました。そこに現れた天使ガブリエルの言葉が冒頭に読んだ聖書の箇所です。もう一度、繰り返します、 「ペルシアの王国の天使長が私の前に二十一日間立ち塞がったが、見よ、偉大な天使長の一人ミカエルが私を助けるために来た。そこで、私はペルシアの王たちのもとに彼を残した。(共同訳2018)」 この言葉の中に「天使長・天使の長」が3人(と言って良いか)登場します。一人は「ペルシア王国の天使長」、二人目は「私」すなわち「天使長ガブリエル」、そして3人目は「天使長ミカエル」です。ユダヤ人の世界観では、先のネフィリムの話やバベルの塔の話して説明した通り、大きく神・エロヒムの領域と人間の領域があり、エロヒムの領域には全ての創造者神ヤハヴェ、そしてヤハヴェに創造された神の子ら、または天使と呼ばれるエロヒムが属し、人間の領域には人間、そして目に見える全ての生物が属します。 古代文明の人々はそれぞれの国民の神、または神々がいると信じておりました。同じように、ユダヤ人は唯一の創造神ヤハヴェとその元にエロヒム(神々、神の子ら、ないしは天使たち)がおり、そのエロヒムの中の主だった者たちにそれぞれの国が任されているという世界観を持っていました。 そう言う文脈で先ほどの聖書の箇所を理解しますと、ここでは、ダニエルが神様にその時ペルシアの国で捕虜となっている同胞はどうなるのですか、どうか助けてくださいと祈っていたのに対して、天使長の一人ガブリエルがやってきて、「遅くなってしまった」「今、戦っているペルシアの天使長とその手下の天使たちに手こずっていたが、もう一人の天使長ミカエルがその部下と共に加勢に来てくれたので、私はその場を離れてこうして神のお告げを知らせに来れたのだ」と言っている訳です。(ちなみに天使長ミカエルは聖書の別の箇所でユダヤ民族を任されている天使長となっています。) 注目したいのは、天使長ガブリエルとその部下の天使たちがペルシアの天使長とその部下たちに対して圧倒的な力を持っていない、ということです。つまり、神様の側の天使たちの勢力に対して、サタンの側の天使たちが強力な対抗勢力になっていることが、この件で示唆されているということです。
現在の戦い
このように観ると、ウクライナとロシアの戦争において、エロヒムたちの戦いが繰り広げられていると考えていいのでしょうか。そうなると、クリスチャンの祈りはどのような意味を持つでしょうか。
祈る意味
キリストは祈り続けることの大切さを不正な裁判官と訴え続けた寡婦の例えで教えました(ルカ18:1-8)。正しい神様は皆んなの祈りを聴いてくださっていると信じ祈り続けたいと思います。
ルカによる福音書18:1-8
イエスは、絶えず祈るべきであり、落胆してはならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。
「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。その町に一人のやもめがいて、この裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、私を守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかったが、後になって考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わないが、あのやもめは、面倒でかなわないから、裁判をしてやろう。でないと、ひっきりなしにやって来て、うるさくてしかたがない。』」
それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求める選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでも放っておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」(共同訳2018)