金知明牧師説教
聖書:コロサイ人への手紙3章14節
そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。(新改訳2017)
さらに、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛はすべてを完全に結ぶ帯です。(共同訳2018)
ἐπὶ πᾶσιν
epi pasin
to all
δὲ τούτοις τὴν ἀγάπην,
de toutois ten agapen
and these(things) the(add) love
ὅ ἐστιν σύνδεσμος
o estin syndesmos
which to-be(is) (the)bound
τῆς τελειότητος.
tes teleiotetous.
the(of) perfection.
The Lexham Greek-English Interlinear New Testament (Bellingham, WA, 2008), Col 3:14.
要約
コロサイ人への手紙3章14節「これらすべての上に愛を身につけなさい!愛は結びの絆として完全です」。この御言葉から、「『それでも愛する』神の愛」というテーマで共に御言葉を味わいました。
「愛を身につける」とはどういうことでしょうか。愛は感情に任せるものではなく、自分で意識して選び取り、行動に移すものです。毎朝服を選ぶように、日々の生活の中で愛を選んで身につけるのです。忙しい時や疲れた時にも、一歩立ち止まり、愛を選び取ることが大切です。たとえば「ありがとう」「お疲れ様」と声をかける、あるいは黙って相手の話を聞く――そうした小さな積み重ねが愛を形づくります。
「愛は結びの絆として完全です」と聖書は語ります。昔の服は帯がなければ乱れてしまいました。同じように、人間関係も愛という帯がなければ崩れてしまいます。愛は飾りではなく、全体を整え、支え、つなぎとめるものなのです。
けれども、人の力だけでは完全な愛を生きることはできません。だからこそ、神の愛に目を向けましょう。イエス・キリストの十字架は、私たちが愛に値しない存在であっても「それでも愛する」と示された神の愛の証です。聖霊の助けを受けながら、日常の中で愛を選ぶことができるようになります。
神様が求めておられるのは「完璧であること」ではありません。「それでも愛する」という一歩を踏み出すことです。「それでも私は愛する」「それでもこの人を愛する」と心に決めるとき、私たちは神の愛に生きる者となります。
沖縄での体験も思い起こされます。異なる文化や言葉の中でも、人は愛によって結ばれるのです。お金や学力ではなく、愛こそが人と人をつなぐ絆です。愛を身につけるとき、心は癒され、豊かにされていきます。
祈りましょう。私たちは状況や気分で人を決めつけてしまいがちですが、神様はそうではありません。「それでも愛する」神の愛を受け取り、その愛を生きる者としてください。自分自身を愛し、周りの人をも愛せるように、日々神様の愛を体験できますように。アーメン。
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行動項目
•日常生活の中で「愛を身につける」ことを実践しましょう。小さな声かけや沈黙の中の傾聴から始められます。
•何かが起こったとき、「それでも愛する」と選び取りましょう。完璧ではなく、一歩を踏み出すことが大切です。
•神の愛に目を向け、イエスの十字架の赦しを受け取りながら、愛に生きる毎日を送りましょう。
•教会や地域社会の中で、愛の絆をしっかりと結ぶ生活を続けていきましょう。
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