金知明牧師説教
聖書:コリント人への手紙第二 4章18節
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。(新改訳2017)
私たちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に存続するからです。(共同訳2018)
μὴ σκοπούντων
Me skopounton
Not looking-at
ἡμῶν τὰ βλεπόμενα
hemon ta blepomena
(Because)we what-is-seen
ἀλλὰ τὰ μὴ βλεπόμενα·
alla ta me blepomena
but (what is)not what-is-seen
τὰ γὰρ βλεπόμενα πρόσκαιρα,
ta gar blepouena proskaira,
the for what-is-seen (is)temporary
τὰ δὲ μὴ βλεπόμενα αἰώνια.
ta de me blepomena aionia.
the but (what-is)not seen (is)eternal.
The Lexham Greek-English Interlinear New Testament (Bellingham, WA, 2008).
要約
コリント人への手紙第二4章18節の紹介
今日の御言葉は、コリント人への手紙第二4章18節です。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」
この御言葉は、教会の納骨堂「天望苑」にも刻まれています。召天者記念礼拝のこの日に、この御言葉を通して、「見えないもの」に心を向けたいと思います。
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見えないものの重要性についての例え
今日のテーマは「見えるものを支える、見えなくても大切なもの」です。
たとえば、雨が降る前に頭が痛くなることがあります。実際に雨が降る前に、空気や気圧の変化が体に影響を与えているんですね。
また、出かける前に財布の中身を確かめること――それも、後で困らないために見えない準備をしているということです。
あるいは、ジャガイモを育てたことがある方なら、芽が出るまで土の下で何も見えないように見えても、確かに命が育っているのを知っているでしょう。
私たちの目には見えなくても、**その下で、静かに支え、動かしているものがある**。
神様の働きも、まさにそういうものなのです。
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聖書の言葉の背景とコリントの教会の状況
この御言葉が語られた当時、コリントの教会は困難な時期にありました。
人々の間には争いや批判が生まれ、心が落ち着かず、神様への信頼が揺らいでいました。
そんな中で、パウロは「見えるものではなく、見えないものに目を注ぎなさい」と語りました。
それは、**状況に左右されない信仰の視点**を持ちなさいという呼びかけでした。
私たちも、日々の不安や悲しみ、喪失の中で、「見えるもの」ばかりに心を奪われることがあります。
でも、神様は「見えないところ」で、確かに働いておられます。
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見えないものの本質と現代への適用
聖書でいう「見えないもの」とは、神様の愛、希望、天国、そして永遠の命です。
形は見えませんが、それらは私たちを支える大切な力です。
たとえば、思いやり、祈り、励まし――それらも目には見えませんが、確かに私たちの心を支え、人生を照らしてくれます。
心を閉ざすと見えないものも見えなくなってしまいますが、心を開くと、**そこに神様の愛の息づかいが感じられる**のです。
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召天者記念礼拝の意義と希望
今日の召天者記念礼拝は、大切な人を思い起こし、神様のもとで平安に過ごしている方々のために感謝をささげる時です。
天国は、どこか遠い空の向こうにあるのではありません。
むしろ、**私たちの心の中で希望として輝く場所**です。
神様の愛は、悲しみの中にも慰めを与えてくださいます。
天に召された方々は、神様の御手の中で安らいでおられます。
私たちもまた、その日、再びお会いできることを楽しみに、この地上での歩みを続けていきたいと思います。
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祈り
どうか、見えるものばかりに心を奪われず、神様の愛と希望に心を向けることができますように。
悲しみの中にある方には、神様の慰めが豊かに注がれますように。
そして、天に召された方々が、神様の御手の中で平和に過ごしておられることを信じる心が与えられますように。
永遠に続く神様の愛に支えられて、希望をもって日々を歩んでいくことができますように――アーメン。
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