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行動より、心が向いている先を見る

金知明牧師説教

聖書:ローマ人への手紙12章2節
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。(新改訳2017)

あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい。(共同訳2018)

καὶ μὴ συσχηματίζεσθε
kai me syschematizesthe
and not to-conform-to

τῷ αἰῶνι τούτῳ,
to aioni touto
the age this

ἀλλὰ μεταμορφοῦσθε
alla metamorphousthe
but to-transform

τῇ ἀνακαινώσει τοῦ νοὸς
te anakainosei tou noos
the renewal the mind

εἰς τὸ δοκιμάζειν ὑμᾶς
eis to dokimazein hymas
so-that to approve you

τί τὸ θέλημα τοῦ θεοῦ,
ti to thelma tou thou
what the will the God

τὸ ἀγαθὸν καὶ εὐάρεστον καὶ τέλειον
to agathon kai euareston kai teleion.
the good and pleasing and perfect.

(The Lexham Greek-English Interlinear New Testament (Bellingham, WA, 2008))


説教要約

聖書の言葉と沖縄のお盆文化について ‎‎
今日はローマ人への手紙12章2節の御言葉を読みたいと思います。そこから「行動より心が向いている先を見る」というテーマでお話しします。
私が沖縄に来て、もう5年になります。この間、旧盆の文化に触れる中で、若い世代が伝統文化に真摯に取り組む姿に本当に感動しました。初めてエイサーを見たとき、また「チョンダラー」と呼ばれる伝統行事に出会ったとき、心が震えるような驚きと感動を覚えました。
お盆の時期には「おもてなし」の文化があり、亡くなった方にさえも心を込めてもてなそうとする姿勢に深く心を打たれました。

信仰と文化・習慣の違いについて ‎‎
聖書もまた、先祖を敬うことの大切さを語っています。ただし、亡くなった方に祈るのではなく、生きて働いておられる神様に祈るようにと教えています。
アブラハムやイサクやヤコブといった信仰の先輩たちを大切に覚えますが、彼らを信仰の対象にするのではありません。
皆さんも家族の行事と信仰との間で葛藤を感じることがあると思います。しかし聖書は、「あの世の先輩に人生相談をするのではなく、今あなたと共に生きている神様に耳を傾けなさい」と教えているのです。

信仰と習慣の心の違い ‎‎
信仰と習慣の違いは何でしょうか。それは心の向き先にあります。信仰は神様との関係を中心とします。一方、習慣は人との関係や文化の流れから生まれるものです。
例えば、心を込めて作った手作りケーキと、ただ買ってきたケーキ。同じ「ケーキ」でも、心の込め方で全く意味が変わります。
教会の礼拝も同じです。形だけの「全自動」のような参加ではなく、心を込めて神様に向かうことが大切です。
日常の「いただきます」や「行ってきます」という言葉も、心を込めれば豊かな意味を持ちますが、ただの習慣になってしまうと、その本来の力を失ってしまいます。

信仰と文化の調和について ‎‎
信仰と文化は、決して敵対するものではありません。文化や家族の行事を全てやめる必要はないのです。同じ行動をしながらも、心の向け先を神様に変えることができます。
パウロも、自分よがりの信仰ではなく、その場にいる人のために祈ることの大切さを語っています。
例えば、お盆で仏壇を整えるときに、「家族を与えてくださった神様、ありがとうございます」と祈りながらその行為をするならば、行動は同じでも意味が全く変わるのです。
お墓参りも同じです。亡くなった方に祈るのではなく、その歴史やつながりをくださった神様に感謝を捧げることができるのです。

沖縄文化の体験から ‎‎
私自身、大阪から沖縄に来て、文化の違いにたくさん触れてきました。亀甲墓やウチカビなど、初めて知る習慣には驚きがありました。
親戚の集まりに参加したとき、「来てくれてありがとう」と言われたことがありました。その場にいるだけで、家族の慰めや励ましになるのだと実感しました。
「次はキムさんの教会に行こうね」と声をかけてもらったこともありました。お互いの文化を尊重し合いながら歩んでいくことの大切さを、沖縄で学ばせていただいています。

信仰の本質と結びの祈り ‎‎
信仰の本質とは何でしょうか。それは、今日からでも新しく始められるものです。家族や親族とのつながりの中で、愛と感謝をもって生きることができます。
神様は今も生きておられ、私たちを、そしてすでに召された方々を見守ってくださっています。
だから私たちは、心や祈りを世界を創られた神様に向けるのです。人を信じる対象にするのではなく、神様を信じながら、人を愛する対象として歩んでいくのです。
どうか形式に流されず、キリストにある平和と希望を持って歩んでいきましょう。
それでは祈ります。

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