地の塩と世の光(長老説教2018.9.23)

塩の結晶(Wikipediaより)

塩について旧約聖書からそれは清めに用いられるもの、契約のしるしとしての重要性を指摘したい。この重要性を知ると、とても自分は地の塩だ世の光だなどとは言えなくなってしまう。個人の知識・資質・能力では到底果たすことのできない役割である。しかし、神様のご配慮により清められ、私たちの内にイエス様の姿が見えることによって地の塩・世の光たることができることを知る。感謝。

レビ記 2:13 「あなたの素祭の供え物は、すべてをもって味をつけなければならない。あなたの素祭に、あなたの神の契約の塩を欠いてはならない。すべて、あなたの供え物は塩を添えてささげなければならない。」

エゼキエル書43:24「これを主の前に持ってきて、祭司らはその上にをまき、これらを燔祭として主にささげる。」

出エジプト記30:35「あなたはこれをもって香、すなわち香料をつくるわざにしたがって薫香を造り、を加え、純にして聖なる物としなさい。」

エゼキエル書16:4「あなたの生まれについて言えば、その生まれた日に、へその緒は切らず、水で洗い清めず、でこすらず、また布で包まれなかった。」

民数記18:19「イスラエルの人々が、主にささげる聖なる供え物はみな、あなたとあなたのむすこ娘とに与え永遠に受ける分とする。それは主の前にあって、あなたとあなたの子孫とに対して、永遠に変わらぬ塩の契約である。」

歴代誌下13:5「あなたがたはイスラエルの神、主が塩の契約をもってイスラエルの国をながくダビデとその子孫に賜ったことを知らないのか。」

蛇足:ここは有名な「山上の垂訓」でのキリストの言葉です。重要なのはキリストが単に調味料としての塩の役割を指しているのでなく、(いつもなされていたように)旧約聖書を念頭に清める働きや契約の最上のしるしとしての塩、ひいては「あなたがた」の役割のことです。更に、旧約聖書の深い理解が新約聖書の理解に不可欠であることも今更ながら確認させられます。(義彦)

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