証し「一つの課題」(S姉)

引用聖句:マタイによる福音書11章28節(ピリピ人への手紙4章6-7節)

皆さんおはようございます。最近は100歳まで生きる人の話を良く聞くので、私など未だ8?歳で弱音を吐いてはいけないと思って、あれこれ頑張らなくてはと思っているのですが、体が思うように動いてくれなくて本当に情けなく思ったりしています。でも、神様からいただいている命ですから、最後まで分相応にできるだけのことをして、毎日感謝をしつつ、歩んでいければそれでいいのではないかと、今日も導かれるままに証しをさせていただくことになりました。

ある日の夕方、電話がかかってきたので出てみると、古くからの友人からでした。彼女は敬虔なクリスチャンで、ある病院のホスピス病棟でボランテアで毎日忙しく働いています。しばらくぶりの電話だったので、懐かしさと嬉しさでお話が弾みました。友人のお母さんは76歳の時、お一人でアメリカ旅行に行かれたそうです。言葉はもちろん、アメリカの土地柄も何もわからないままに行ったんだそうです。それは、当時、友人がアメリカに住んでいたので、向こうに行ったら、彼女が迎えに来てくれるさとなんの不安げもなくでかけて行ったそうです。娘が、あちらで待っていてくれる、ただそれだけを信じて行動したことは、ちょうど私たちが天国へ旅立つことに似ていると思います。私たちは未だ天国に行ったことがありません。未知の世界です。でも、たった一つだけ知っていることはそこにはイエス様が両手を広げて待っていてくださるということです。ただ、そのことだけを信じて私たちは安心して人生行路を進めていけるのではないでしょうか。友人が奉仕をしているホスピス病棟に入院している患者さんたちは、初めは自分の死についてとても不安を抱いているそうです。その患者さんたちから、死の恐怖と取り除き、安心して平安のうちに召されていけるようにしてあげるのが、ホスピスの仕事だそうです。ある患者さんが、天国へ入るということは、マラソンのように最後まで走りきって、やっとゴールインした選手を、そこで待ち受けていた人が大きなタオルで包んでそこで優しくいたわっている光景と似ているのでしょうね、と感想を漏らしていたそうです。友人はとても感動したと言ってました。

その、彼女にも一つの大きな悩みがあるそうです。それは、彼女の姉さんが信仰を受け入れてくれないと言うことです。姉さんが嫁いだ家は先祖代々、仏壇を大事にしている家で、それから抜けられないと言っているのだそうです。そういえば、私が嫁いだ家も大きな仏壇があり、お母さん(姑)が年中行事にはご馳走をたくさん作って、仏壇にお供えして、敬虔にその勤めを果たしていました。その頃、キリスト教の教えを学ぶようになっていた私は、偶像礼拝は大きな罪であり、神様の最も嫌われることである、仏壇もその一つであると学び、恐る恐るお母さんに話したのです。案の定、お母さんは何をこの子は言っているの。少し、おかしくなったんじゃない、と相手にもしてくれませんでした。また、友人の悩み同様、私も妹に信仰を理解してもらえないのです。こう言う厚い壁の前で、信仰者はどうすれば良いのでしょう。一つの課題にいつも思い悩み、自分の信仰の足りなさや、力の弱さに打ちひしがれていました。ところがふと、私はピリピ人への手紙4章、6節から7節のみ言葉に出会いました。そこで、イエス様のみ声を聞きました。「何ごとも思い煩ってはいけない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたの心と思いを、キリストイエスにあって守るであろう」。ああ、神様あがとうございます。私はなんと思い上がっていたんでしょう。自分にできるないことをやろうとして、無駄あがきをしていたことに気づいたのです。神様に一切をお委ねして、私たちはただ、祈りと願いとを捧げて、神様の平安のうちに生きていけばいいのです。

(上は約14分のお話しの要約です。文責・義彦)

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