長老説教「ペテロとの対話」

ヨハネによる福音書21章15〜19節・15章:16節

昨年からイエス伝を(月に1回のペースで)映像を通して鑑賞する機会を得て新鮮な思いをしております。私たちは現在、教会という枠組み、キリスト教という世界的な宗教の中にあって、当たり前のようにキリストの教えを受け入れていますが、キリストが活躍した当時の状況の中に置かれたら、果たして素直に信じたであろうかと。ヨハネ福音書ナザレのイエス

今日の聖書の箇所はキリストがユダヤ人たちに捕らわれて「裁判」にかけられていた時に三度イエスを知らないと言ってしまったペテロに対して、復活のキリストが「私を愛するか」と三度問うた話です。

この箇所は1978年に恩納村で開催されたOCM(沖縄クリスチャンミッション)30周年記念大会で西シアトル教会牧師のアーニー・チェンパリン氏がメッセージに取り上げたことを記憶しています。また、偶然にも天に召される前のウドラフ先生と一緒にユージンオレゴンの教会で一緒の後ろの席に座りながら聴いた説教の題で、ウドラフ先生が「そうだ、そうだ」と説教の間中頷き、強く同意されていた時のことを思い出します。

イエス様が3度私を愛(アガペー、agapo、αγαπαω)するか、と問います。ペテロが3度愛(フィレオ、phileo、φιλεω)しています、と答えます。このことについて考えたいのですが、私は次の節が気になり説教のポイントとしたいと思います。

ヨハネ伝21章18節 よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。19節 これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。

Quovadis

クォヴァディス(主よいずこへ)という映画を思い出します。クォヴァディスは暴君ネロの迫害の渦中・ローマから出て行こうとしていたペテロにローマに向かうイエスが現れたという伝説の中でペテロが語ったとされる言葉です。

ヨハネ伝15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。

この言葉を今日の説教の結びにしたいと思います。長老

(要約の文責・義彦)

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